たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

不安をめぐって

心の移り変わりの激しさや、捉えどころのなさなどに思いを馳せながら、休日ひとり車のハンドルを握っていた。それにつけて思いおこすのは「達磨安心」という無門関の第41則にある話。これは気になる話で、この問答の簡潔さ、余計な枝葉が無いのにテーマの本質を言い切っている見事さがすごい。禅の言葉はみなそうなのだが、これ以上言いようのない表現にいつも感銘を覚える。車を運転しながら、この達磨の問答を頭の中で反芻し味わっていた。

達磨面壁す、二祖雪に立つ。臂(ひじ)を絶って云く、弟子心未だ安からず、乞う師安心せしめよ。磨云く、心を將ち(もち)来たれ、汝が為に安ぜん。祖云く、心を覓むる(もとむる)に了に不可得。磨云く、汝が為に安心し竟(おわ)んぬ。
無門関 41則

菩提達磨という人はインドの小国の王子だったらしい。出家して禅を学び、はるばる中国に禅を伝えるために旅をして、梁の武帝に謁見、その俗人ぶりに失望、嵩山の少林寺に入って洞窟の壁に向かって、ひたすら9年間も座禅をしていた。二祖とは神光慧可という学者で、達磨に教えを乞いにだずねるが無視され続けていたらしい。真剣さを伝えるために自ら臂を切断、達磨に差し出す。この話は、慧可断臂という逸話になっていて水墨画にも描かれている。


この話のクライマックスは、慧可がどうしても心が安心できないという訴えから始まる。達磨の答えはきわめて簡潔。不安で仕方ないならば、その心をここに持って来い。お前の為にその心を安心させてやろう、と。


慧可はまじめな人間で、日夜心を掴まえようと努力したに違いない。問答の中では、簡潔に引き続いてやり取りがあったように表現されているが、たぶん何年も心を求める探求を続けたのだろうと想像する。初めの問答と第二の問答の間には、慧可の苦闘の時間が流れていると思う。達磨はそれをじっと見つつ待っている。言い換えれば慧可が絶望の淵まで追い込まれていく過程を。


そして第二の問答。
「心」を持ってくるのを待ちわびている師の前に、慧可は絶望して全身全霊を投げ出したに違いない。いくら掴まえようとしても心はついに掴まえることはできませんでした。きっと慧可の心は真っ暗闇の中を何年も彷徨し力尽きたのだろうと思う。心を掴まえるという努力が無駄だと自覚するギリギリのところ、その努力を放下する地点にまで追い込まれていたのだろう。


達磨の言葉は意外で、かつ深い感銘を与える。
よしよく努力した。たった今、おまえの為に、おまえの心を安心させてやったぞ。心の実体がないことをおまえは自らの力で、心の底より了解した。それが答えだ。


絶望の淵から不死鳥のように蘇る慧可の気持ちについては、この書は沈黙している。しかし短い問答の記述の中から慧可の気持ちが迸っているように感じる。どれほどの喜びだったろうか。
本当の師は、手助けはしない。弟子が自らの努力で這い上がるのを待つ。真の深い愛情。


この二祖慧可から代々教えが受け継がれて、それが日本にも伝わって禅宗という一派が盛隆を極める。この場面は、禅宗の流れが始まる最初の一滴だった。




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