誰に聞いたらいい?
このところ、ある事実をめぐって考えをめぐらせる。それをありのまま書くわけにはいかないけれど、何十年にもわたって、ひとつのテーマが繰り返し繰り返し自分の人生の中で突然に訪れていたことに気づく。そのテーマは、全く互いに関係のない人びとの口から語られたり、行動で示される。それも何十年もの時間を経て。
バラバラで秩序のない事柄であったら何も気にしないで過ごすだろう。しかし年齢を重ねるに従い、偶然とは言いがたいその符号に、時として慄然とする思いを抱く。自分はまったく気乗りのしない気分でいるのに、その一点に口を開けたブラックホールに向かって自分は、ゆっくり、ゆっくりと落ちているんじゃないか。
別の言葉で表現すれば、人生には使命のようなものがちゃんとあって、予定された役柄を演じている舞台に出演しているのだろうか、人生はあらかじめ決まっているんだろうかという疑問に関連している。もし自分の果たす役割があって、若いときに自覚するのでなく50代になって初めて分かるとすれば、何とうかつで間抜けなんだろうとも思う。一方、いやいや50代には50代に自覚する重みも意味もあるかもしれないと思いなおす。
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先日、すこし古いメモが出てきて短い文章がなぐり書いてあった。やたらメモをあちこちに書き散らしているために、それを書いた状況を正確に思い出せないが、題は『幸せな家族』。
スキー場で見た幸せな家族。でも自分たちはその幸せに気づかない。天使たちが頭の上で舞っているのに。支えてくれるものは目に見えないものだから。
レストハウスでコーヒーブレイクしているときに、隣り合わせたごく普通の家族。子供とスキーにやってきて疲れて休んでいる若い夫婦を見ていてメモした。
自分にはボンヤリしてよく分からないことがらでも、人から見るとはっきり見えている。そんなことがあるものだなと感心して。
自分が呼びかけられている役割もそんな感じかもしれない。そんなことは興味ないといいながら、少しづつ、少しづつ近寄っていく。