たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

絵にまつわる雑記

記憶だけを頼りに東京の景色を描いたスティーブン・ウィルトシャー氏の絵画を眺めていて、氏がその絵を描く動機といったらいいのか執念みたいなものが何なのだろうかと思う。30分眺めていて記憶した東京の都心の眺めのデータをひたすら吐き出すその執念みたいなもの。おそらく景色の詳細を自動的に脳細胞に記憶した(写し取った)その膨大な内容を、紙に移転する作業に駆りたてるもの。


先日、関乃平氏の画集『夢の船「飛鳥」で世界へ』を購入した。色彩の扱いや構図がシンプルなのに、とても心に響く。いやシンプルだからこそ、心のどこかにしまわれている深い記憶を呼び覚ます気がした。
色彩とか形の美しさとかの要素が絵画の魅力だが、さらにその先に心を惹きつけてやまない何かがあると思った。


自分が水彩画をいじり始めて、始めに取り組んだのはものごとを写生すること。そのうちこちらの方向へ行ったほうが絵としていいとか、美しいとかいろいろと考え始めた。迷い始めたと言っていい。そこで気づいたのは、ものごとを正確に正しく写しとる(たとえば写真のように描く)ということと、美しいという感覚とは一致していないという事実。ならば、正確でない崩れた描き方がなぜ美しいのかという疑問を生ずる。


心のどこかに美しさの原型みたいなものがあって、それは遠い記憶と結びついていて、
そこへ戻りたいというような気持ちを抱いていて、そのような複雑なしかもハッキリしないモヤモヤ感に似たものが関係している。絵画はいつもその周りを巡っているように思う。



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