たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

新年

連休になるとBLOGを綴っているリズムが変化する。おまけに雪の季節ともなれば、心の半分以上はスキーに奪われてしまうのでなおさらだ。年末の30日から今日まで板を履かない日はなかった。


2日にNHKで放送されたイチローの番組を見た。スポーツの世界に生きる男たちの言葉にはとても興味がある。23個のイチローの言葉を、TVを見ながらメモした。なるほどと思うこと、意外な言葉など、さまざまだが、一番印象に残ったのは犠牲について語った言葉。

何かを犠牲にして野球を見に来てくれる人たちがいる。その人たちがいなければ僕たちの生活は成り立たない。だから選手である自分も生活のある部分を犠牲にする。


当たり前だけれど、野球の世界に生きている人びとでなかったら、野球を離れても生活に支障が出てくるようなことはないと思う。同じように芸術に係わることで生計を立てている人たちでなかったら、絵画や彫刻がなくても支障はないだろう。


プロのスポーツに生きる人、また芸術家と称せられる人は、何か物を作り出したり、育てたりする農業や工業と異なり直接モノを人に手渡すわけではない。精神的な「何ものか」を人に伝えることで職業が成り立っている。


そのことは昔から自分の中で引っかかっていた。若い頃、絵を描くという精神的な何ものかを作り出す道を選択せず、生活に必要なモノを作り出す道を選択したから。つまり技術の道に進んで、食える世界に進路を決めたから。
精神的な何ものかを提供するという職業は、どのような生活実感を伴うものか。


自分のプレーに対してお金を払い時間を費やして見に来てくれる人たちに、イチローは焦点を合わせて生きている。そのことをごく普通に口にしている。その冷静さが新鮮。たいていは著名になるにつれて自分を特殊だと思い始め、自分を成り立たせてくれている存在を忘れたりする。