停電
BLOGを途中まで書き始めたところ、点けた電気ストーブのせいだと思うのだが、突然ブレーカが落ちたようだ。あたりは暗闇となり手探りで階段を降り台所のブレーカのところまで行くと、家内と娘が携帯の灯りを使ってブレーカの落ちてしまったスイッチを探している。手馴れたものだ。PCも無事だったようだ。
正月休みを迎えたが、毎日天候が荒れて昨日からはずっと雪が舞い続けている。それでもホームゲレンデがオープンになったので、行かない手はないと毎日板を担いで出掛けている。今年の冬は冷え込みが厳しい。
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リフトに乗りながら、スキーの道具を眺めていて、ふと思った。
人間は、最後の最後のとどまるところまで行かないと迷いは収まらない。
中途半端な妥協は、結局解決にはならない。トコトン行かないと結着は見ない。
この遊び道具だって気に入るものに出会うまでは遍歴する。
傍で見れば道楽そのものだ。しかし本人にしてみればなかなか満足できない。
それで次から次と買い求める。この衝動はなかなか収まらない。
「これだ!」というものに出会うまで、迷いは続く。
このことは人生においても全く同様だと思う。
自分はこれで行くのだと、決心がつかないうちは遍歴する。
人からいろいろと言われると迷いが出る。
自分はこれでいいのだと、素直に思えたときに迷いは終わる。
道理を「明らかにする」というのと、「諦める」というのはもともとは
同じ語源だそうである。
決心がついたというのは、他の可能性をスッパリと切り捨てたのと同義だ。
迷いを断った状態が、諦めたことになる。
迷いを明白にして、迷いの心に引導を渡すようなものだ。
自分の体験で言えば、長野は駒ケ根の地に来たとき、
自分はこの地でいいとはっきり感じた。
つまりは、駒ケ根の地で死んで骨を埋めるので構わないと。
もう10年余り前の話だ。この件で迷いが出たことはない。