たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

絵を描く 〜その2〜

田園の風光の中に立ち、誰もいない中で、サラサラと鉛筆を走らせる。こんな瞬間がとても好きだ。風景に対峙して対象として描くのではなく、自然の空間や光に包まれて、自己の存在が風景に融け込んでいる状態の中で描く。これが性分に合っている。自然と共にあることで絵画が成立する気がしている。


こういう考え方は私独自の考え方ではなく、日本古来の伝統的な姿勢なのではないかと思う。書も絵画も茶道も、そしておそらく禅にも通じる日本古来の彼我一体という考え方に立脚している。


年齢のせいなのだろうか、西洋的なものの見方というものが、次第に自分には苦手となり分かりにくくなってきている。対象を冷静に分析し要素に分解し、絵画という仮想の世界に再構築する手法は、それは理解しやすい。しかし、その先にある空虚というものを埋めることができないと感じている。空虚と言って分かりにくければ、「美の不在」とでもいったらいいのか。


美とは何か。その答えがないために、若い頃苦しんだ。バラの花を前にして、自分は何を美しいと見て、バラをどのように描くのか。進学の方向を反対されたとき、何が何でも美術の世界に進むんだと父親に強く主張できなかった理由がここにある。自分でうすうす分かっていた。「じゃ、お前は何を描こうとしているのか。何を美しいと思うのか」と突っ込まれて問われたとき、明確な答えを持ち合わせていなかったことを。
だから父親に反対されて美術の道へ進むことを諦めたのではなくて、いわば自滅だった。


風景の美しさは、普段考えている以上に深いところからやってくる。地球という存在の上に生きていて、大地の息吹のようなインスピレーションに包まれるところからやって来るのだと思う。この辺をうまく表現する言葉を自分は持っていない。だからそれを絵を描くことで応えたい。風景の中に立ち、鉛筆を走らせ絵筆を採る理由だ。



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