絵を描く
画家になりたいというぼんやりした気持ちを抱いたのは、確か小学生の頃だったと記憶している。誰に問われたのか分からないが、将来何になりたいかと問いかけられて、とりあえず絵を描いていきたいと応えた。応えることで、そうか自分は絵が好きなんだと自覚した。
絵を描くことが答えとしてとっさに頭に思い浮かんできたのは、小学生時代に絵画コンクールがあると、ほとんど上位入賞して賞状をもらったり表彰式に出ていたためだろう。嫌味に聞こえるかもしれないが、これは自慢しているのではない。じつは、自分の中から絵を除くと、残りの部分は劣等生そのもので、ほとんど知能の遅れた子供に近かったからだ。
いま振り返ると、子供の発達段階で症状が見られる注意欠陥多動性(ADHD)に近かったと想像される。行方不明になることが多くて、どうも落ちついていない。
定年退職した父親は、ようやく荒れた生活も落ちついて絵や彫り物にうちこんでいる生活を続けている。この姿を見ると、自分の中にある絵が好きという傾向は父親の血筋なのだろう。考えてみれば父親もADHD的な遺伝子を持っていたのではないか。
自分が小学生だった頃、夏休みの宿題で絵を描くためだと思う。家族でめずらしくハイキングを兼ねて、横浜の田園が広がる郊外に出かけたことがあった。自分はたぶん遠近感のない平坦な絵をスケッチしてたのだろう。それを見た父親は、なぜかその絵の遠近法の歪みが気に入らなかったらしく、激しく怒った。お前の絵は間違っている。だから描き直せという。風景には消失点があって、地面の全ての平行な線は水平線に集まり、その消失点に向かわなければならない、というような怒られ方だった。
この父親の前では絶対絵を描かないぞと恨みに思った。しかしいま振り返ると自分の絵を描くベースになっているのは、歪みのないパースだ。
絵の道に進みたいと親の前で言ったのは、高校生の頃だったが、食えるわけがないだろと父親に一蹴された。これも親心だったのか。