絵の完成プロセスの偶然性
描きたい絵のイメージがあるのに、いつもそれとは異なる着地点に降り立ってしまう感じがする。描きたいイメージに肉薄する執着パワーが不足しているんだろうか。想定とは異なる出来上がりの絵に、そこそこ満足したり、あるいは諦めてしまう。
しかし、一方では、頭の中のイメージは実はきわめて貧困で、いともつまらぬものに過ぎないという気もする。ひとたび絵筆をとると現実の複雑さと多様性と偶然性、それにあらたな発見などがあって、心が掻き乱される。絵がどうなっていくのか、それは自分でも予想がつかない。それが真の姿のようにも思える。
連載小説を執筆する小説家も、結末は自分でも分からないということを聞いたことがある。なにも始めから完成したものが見えているわけではないらしい。それと同じだろうか。頭で考えても解明できない別の力学が作用するのだろうか。