たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

夜更けに思う

不当な扱いを受けたとか、讒言によりよからぬ疑いをもたれたとか、自分に落ち度がなくともそんな境遇におかれてしまうことがある。
しかしそんな仕打ちを仕掛けた人間を怨んでみたり、陥れられた自分の境遇をいくら嘆いてみても、じつはそれは何の役にも立たない。


不快な経験をいくら反芻したところで、そこから安らぎは生まれてこない。また、怒ることで心の平静には到達できない。嘆くことで平安を手にすることはない。


怒りは怒りを生み出し、納まることはない。怒りが深まることで自然に喜びに変化することはない。悲嘆することも同様だ。それらは感情であり、感情は、基本的に質の変化をしない。ただ激しくなるだけだ。そこには快感すら伴う。


感情は、種火をもらって、火がつき始めるようなもの。あとは燃え盛っていく。怒り続けるとは、そこに薪をくべ続けるようなものだ。


ならば、どのような道があるのだろう。その答えは単純だ。
落ち着きは心の安らぎを生む。理由なく始めから平静で居ることが答えなのだ。それしか解はない。種火をもらわないこと。そこに理由はない。
こんな酷いことをされていて怒らないなんて、と考えないこと。種火があるから燃え盛る必要があるわけではない。ただ、それをもらわないと決心すること。


そして役に立つことを考える。具体的に実行する。自分にはいま何ができるのか、人の役に立つことは何なのか、具体的な事柄に関心を向ける。感情のるつぼを覗き込むようなことはしない。どんな境遇に立っていようとも、今できる事柄は、ともかく前に進むことなのだ。後に向かって歩くようには体は出来ていない。



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