たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

時間という距離

2日続きで私のための会を催してもらってちょっとのみすぎ。ひとつは歓送会だが、メンバの平均年齢はおそらく30代。気の置けない若手の仲間の集まりで楽しく話が弾む。もうひとつは歓迎会だが、こちらの方は公式の会で平均年齢は50代半ばであろう。こちらは終始しみじみとした雰囲気の中に包まれ、また楽しいものがあった。


ところで、先日メノウの中に閉じ込められた5300万年前のクモを、メノウを壊すことなく画像表示したという記事を読んだ。いわゆる非破壊検査のやり方で、石の中に閉じ込められたたった1mm足らずのクモをリアルに観察できたという内容だ。


その技術の内容も素晴らしいものだが、しばし考え込んでしまったのは、時間という距離感のことだ。5300万年前に現在と変わらぬクモの姿を見るにつけ、命の連続ということを考えざるを得なかった。


人類の歴史は、ジャワ原人北京原人が40万年前、ネアンデルタール旧人が20万年前、クロマニヨンが4万年前。そしてキリストが生まれて2000年。宇宙的なスケールの大きい物理的距離を表すのに、光の速さをつかい、届くのにかかる年数で何光年というけれど、よく考えると時間の長さに関してはあまりこのような喩えがない。


で、キリストが生誕してから現在までの時間の長さを単位として、距離に換算して1mm(1キリストだね)としよう。すると5300万年前のクモの生きていた時間の長さを距離にするとどんなもんだろう、と疑問に思ったわけ。比例計算をすると26.5mになる。人類の記録がよく保存された西暦2000年はたった1mm。


調子に乗って計算すると、ジャワ原人は20cm(200キリスト)、ネアンデルタール人が10cm(100キリスト)、クロマニヨン人は2cm(20キリスト)だ。メノウに閉じ込められたクモは26m以上の遠いところにいて現在その姿を晒したわけだけれど、ジャワ原人でさえたった20cmの近所に出現!猿人だか猿だかがうろついていたのは少し遠くだろう。しかし26mの長さのほとんどは人類から見ると暗黒もいいところで、この中を虫たちは生き抜いてきたんだという事実にしばし考え込んでしまったわけ。


知られていないドラマがどれだけあったことだろうね。
また、ネアンデルタール人というといかにも原始的に受け取ってしまうけれど、以前TVで紹介されていた内容によれば埋葬された男の周辺に大量の花粉の化石が出てきて、死者に花を手向けたのだろうといわれているそうだ。また身障者が長寿を全うしていて、動物的な弱肉強食の社会ではなかったはずともいわれている。


彼らだって夜空を眺めてそれを美しいと思い、宇宙に出かけたいと思ったかもしれない。いまボクたちの生きている現代の技術を使えば、ある意味でそれは可能になった。花を美しいと感じ、死者が安らかであるように祈る気持ちは、何万年も変わっていない。


たかが1mmくらいの時間の長さの知識で、進化の頂点に立ったかのような思いはとんでもない思い上がりかもしれないのではないかな。知られていない素晴らしい思想や美への追求が数え切れず存在し、そして埋もれてしまったはず。いやいやこれから発見されるかもしれない。


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