たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

山崎るり子詩集

少人数のささやかな、しかも急の歓送会を開いてもらって、結局は夜中の2時くらいまで飲んでいた。ちょっと眠たい一日を新しい職場で過ごし、今日は早く帰ろうと会社を退けた。こんなときはフラッと吉祥寺の書店に足を運びたくなる。画像処理やWEBサイト構築系の本を見たり、美術系の画集を眺めたり、宗教や哲学、ガーデニング、スキーに武道。やたらと散策する。


最近、詩集コーナーには何ヶ月も足を運んでいなかった。自分には何か詩を書かせないベールのようなものが垂れ下がっている気がしてずいぶん時間が経っている。このままなのかもしれない。絵を描くことと同列には詩というものが並んでこない。そんなもどかしい時間がずっと流れている。


詩集の棚の前に足を運んだら、現代詩文庫185の最新刊に、あの山崎るり子さんの詩集が刊行されている。さっそく購入。何年か前に詩集『だいどころ』を読んで、平易な言葉の積み重ねの中から、ほのかに立ち昇る日常の不安の陰の表現がとても新鮮だった。


詩文庫の略歴や本文によると、46歳頃から詩を書き始め女性誌に投稿を始める、とある。女性詩人の場合、早熟で、10代からその才能の片鱗を表すという方が多いからちょっと意外だった。


その人の才能はどんな職業や境遇にあっても、やがて表に出ざるを得ないという考え方がある。山崎さんもその例外ではないのかもしれない。

・・・おもしろそう、書いてみようかな、とあなたが思った途端、あなたはタモ(小型の掬い網)を持つ人になる。川が足元をさらさら流れはじめる。あなたはタモを川に差し入れ持ち上げてみる。ほら、何か入っている。ゴミと一緒に小さなキラリと光るものが入っている。あなたは広告の裏や、いらなくなった書類の裏に広げていく。自分という流れの中にこんなに沢山のものが流れていたなんて、とあなたはびっくりする。
 私も長い間詩を書くということを考えずに暮してきたので、タモに入っていたものを見てびっくりした。そして生まれてからずっと川は流れていたのに、掬ってみることをしなかったことに気づいた。


「詩を書こう詩を読もう楽しもう」p.130

とても達意の文章だと思う。詩を書くという体験や、光景が思い浮かんでくる。やはり才能というものは、どこかでどのような形であれ、姿を現すものだと思いなおす。


にほんブログ村 本ブログへ