たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

飯田市美術博物館にて

昨日、飯田市美術博物館で開催されている『絵画の中の物語 -菱田春草「王昭君」と日本美術院の歴史画』を家内と見てきた。菱田春草は、1874年に長野県飯田市に生まれ、満にして36歳で夭折した天才画家。飯田市は自宅から車で約1時間くらいのところの南信一番の大きな町なので、ちょっと出掛けてきたというわけである。


出品されていたのは、春草のほか、下村観山、木村武山、横山大観など、前期日本美術院の歴史画が中心。再興された日本美術院の歴史画として、安田靫彦(ゆきひこ)、小林古径前田青邨の作品がいくつか展示されていた。


日本画に馴染みのない自分だったが、圧倒的な絵画のパワーのようなものに打ちのめされそうだった。とくに木村武山の『配所の月』という作品の精密な描写と独特の色彩感覚は素晴らしいものがあった。菅原道真が中傷により大宰府に左遷され、あばら家の中から月を眺めているという図なのだが、その住まいのいたるところにある傷みや廃屋の様や、庭に雑然と生い茂る雑草たちの描写が実に美しい。雑然としているように見えながら様式化した草や花の表現には、写実的な表現では得られない美しさが漂う。


日本画には、現実を写実的に描写する面もあるが、その表現手法を見ると、究極の姿をつきつめた上で、抽象化し、文様化するという強い動きがあるのだと思う。西洋風な陰影や立体感の表現にさほどこだわっていないかのように見えるのは、現実を正確に模写するというよりも、その奥にある理想の姿を形にすることに主眼が置かれているからに他ならないように思える。いまボクたちが普通に言っている西洋風の絵画表現は、あまりに刹那的、現世的、感覚的で、これらの日本画が目指していた地点からずいぶんと遠くへ来てしまったなと思わざるを得ない。



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