たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

現実世界と美

今日は住んでいる地域(駒ヶ根市伊那という地区)の運動会だった。町内会のような組織(常会)のお役目を仰せつかっているために、行事があるたびにその下準備にいろいろと頭を悩まし、奔走する。そんなことでこの週末の土曜日からバタバタと行事関連に追われてしまった。


でも不思議なものだ。頭の中は意識していなくても、まったく別の流れが平行して進行している。無意識の領域の働きと言うのだろうか、課題を与えておくといつの間にか考えが形になっていたりまとまっていたりする。


長野から東京へ戻るバスを降り、歩き出した途端に、「美」というものはどんなものかが判った気がした。具体的に絵に即して言えば、絵を描くとはどういうことか、何を描くのか、なぜ描くのか、そんなことが無理なくスッと判った気がした。


モネの積みわらの連作は、光の刻々の変化により積みわらの陰の色が赤になったり青になったりその表現は多彩で、そのモネの描いた色彩を通じて、モネの見た美と言うものを垣間見ることができる。


本当に積みわらの陰がこんな色をしているかと問いかけても仕方ない。何の感動もなく実際の積みわらを見る人には、この色彩は荒唐無稽でホンモノじゃないと思うことだろう。これが最初に躓く石だ。


ホンモノみたいに描かれた素晴らしい絵という言い方は矛盾している。日常見ている世界を可能な限り模倣することが、美の発見(美の達成)につながるわけではない。
美とは、ホンモノと呼んでいる見慣れた世界に従属する付属物ではない。


写実的に描いた絵というものは、本当に評価が難しいと思う。現実世界を緻密に正確に描いた作品を前に、ボクはいつも悩む。精密に風景が描かれた作品を前に、自問する。これは何を描いたのだろうか?そして、なぜ描いたのだろうか?



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