たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

祭りのあとの空白か・・・

先週末に、職場で定例的に開催しているちょっとした発表会があって、その企画や準備や連絡など何かと神経を使う仕事で慌ただしかった。そのイベント自体は、予定通り順調に進行して、無事に終了したといっていいだろう。問題は、その後だ。


必ず心理的な揺さぶりに襲われる。特に落ち度があったわけではないが、なにか悪いことがあったのではないかと考え始めて、ひどく落ち込むのだ。小さな失敗などが出てきた場合は、さらに落胆の度はひどくなる。昔から経験してきたことなので、できることならこういうイベントのようなお祭りはしたくない。したくないが、仕事であり避けるわけにはいかない。


今回も、やはり揺さぶりがやってきて、週末駒ケ根に向かうバスの中で、改めてどうしてなんだろうと考えていた。自分は何を期待して、何に落胆するのか。自分の行うことに対する完璧主義のなせる業なのか。失敗がないにもかかわらずそんな心理状況に陥るというのは、成功失敗が原因ではない。なぜだろうか・・・


最近持ち歩いているシャーマの著作を、バスの中でパラパラ見ていて、その中で初めて出会う言葉に、正直驚いた。心理学者がPOD(Post Olympic Depression)と呼ぶ症状があるというのだ。つまり、オリンピック後のうつ症状。オリンピックに出場した選手が、帰国してからうつ症状に陥るためにこのような名称で呼ばれるらしい。

 世界中のスポットライトを浴びて、競技でいい成績をあげるために何年もトレーニングを積んだあとで、いったん日常生活にもどると、選手たちはこの症状に襲われて鬱状態になります。成功の絶頂をきわめたことによって、さらなる高い目標がなんくなり、人生は意味を失ってしまうのです。

ロビン・シャーマ『3週間続ければ一生が変わる』p.29


そうなのかもしれない。
負荷の大きい仕事をうまくこなすため準備を重ねるほど、生活の大半がそれに向けて整えられていく。一種の異常な状況が常態化する。その間は緊張の糸が張り詰めているわけで、その緊張感が生活に張りを与え、当面の生きる意味を形成しているわけである。そしてその緊張の糸が、達成することで緩む。あるいは糸がなくなる。と同時に生き生きと張りのあった生活が、突然目標を失ってしまう。


このような症状は、案外日常生活で経験していることかもしれない。面白ろ「すぎる」映画を見て現実の世界に引き戻されるとき、楽し「すぎる」旅行から自宅に帰り日常にもどらねばならない夜、長期連休でのびのびと日常生活を忘れて遊び「呆けた」あと。
みんなある意味でPODなんじゃないかな。


そうならないためには何が必要か。
過度の集中と緊張が、その症状を引き起こす前提条件となっているのは間違いない。日常の生活の現実感から、あまりにもかけ離れた行事や目標を持ってしまい、その中に没頭するほど、日常に戻る際のギャップは大きくなる。夢中になるほど、そのあとの落胆は大きくなるという逆説。日常の世界に対して、頭の中が「あちら側」にいってしまっていることに、そもそも原因がある・・・
このことを自覚して生きていければよいわけだが・・・




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