たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

日垣隆『すぐに稼げる文章術』幻冬舎新書

BLOGを始めるようになってから、なぜ文章を書き続けるのだろうと自問することが増えた。以前書いた文章を読み直しては、昔はなぜこんな風に考えたのだろうとか、まったくヘタだなと思うことも。


しかし自分がいて、書かれる対象があって、書かれる文章がその間に介在している。書かれた文章がなければ、自分も対象も生じない。書かれなかった日記なんてものは意味がない。その期間、人生そのものがこの世になかったようなもの。


表現したいと思う気持ちのある限り、ヘタな文章でも人生の証しとして存在理由があるのだろうと、やや心配げに思っている。


ところで作者自身があとがきで述べているように、この本は「よりによってまた、えぐいタイトル」である。
しかし、
「えぐい」=
「理屈はさておき、読者が着く」=
「何だかんだ言ったって文章が売れる」=
「文筆業の成立?」
ということで、
何より実践的(実戦的)で余計な枝葉がない文章論。
読んでいて爽快。たとえば悪文の例題をあげて、こっぴどくこき下ろしているのは痛快だった。


最後の最後になって、

 お断りするまでもなく本書は、名文や美文を指南する本ではありません。そんなものを私が書けるどころの話ではなく、大先輩が書いたもの(『文章読本』のようなやつ)を読んだって理解できないでしょう。たとえ間違って理解したとしても、名文や美文など書けるものではありません。
あとがき p.209

続いて、

 居直り的に言っておけば、日本で美文と評価されるものの実態は。実は漢文調崩れのことなのではないか。そして名文とは、誰もがなんとなく思っていることを短いセンテンスで言い切りつつ、全体としてスムーズに流れて飛躍をせず、読者を高みに連れて行ってくれる文章のことだと思われます。
p.209


うん、日垣さんの主張の核心が語られているところだ。

・・・少なくとも私にとって文章の飛躍(接続詞なしで使う話題や次元に飛ぶ)は、思考を深めるためにどうしても必要な作業です。もちろん、飛躍したあとで、必ず戻ってこられる回路を開こうと常に思っています。戻ってこられなければ、その飛躍はただの突撃自爆です。
p.210


あとがきとなっているが、本書のまとめと俯瞰の役目を果たす。ここから読むのもいいかもしれない。でも、いきなり上級編に飛躍しすぎか。



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