たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

ダ・ヴィンチ

会社帰りに吉祥寺の書店に立ち寄ることができた。目的は、ダ・ヴィンチの画集や資料を探すこと。手元に寄るべき資料もないことに気づいたから。先日来、モナ・リザの絵画をもっとしっかり見なければと思った。


ユザワヤの地下にあるK書店のコーナーを訪れると、平積みさたダ・ヴィンチに関する書籍が並んでいて、目を惹いた大著があった。手に取るなりこれだと感じた。高草茂氏著『「モナ・リザ」は聖母マリア〜レオナルド・ダ・ヴィンチの真実』という最近出版された本だ。TASCHENから出ている小さな画集も併せて購入した


ダ・ヴィンチの書き残した手稿は、鏡文字で逆転して書かれ、かつ左手で記されたため解読が難しく、文字だけのページなど内容の約半分が紛失しているので、詳細に見ることが可能となったのは、1970年代から開始された国際共同出版による完璧な複製が作成されてからだそうだ。ウィンザー城図書館内で、消えゆく銀筆の素描を紫外線を用いて解読していく作業に、著者の高草さんは参加されたらしい。


さて問題のモナ・リザだが、本書によると、ダ・ヴィンチは目つきや左右の視線の位置、くちびるの動きについて詳細に観察し調べ上げて、ノートに記している。顔面の各部についての間隔や比率について綿密な寸法取りを行って、それらのバランスをどのようにしたら優雅さを表現できるのかを徹底的に研究したそうだ。


モナ・リザが誰であるのか、そんなことを記述した解説があるけれども、そこにダ・ヴィンチの関心や主題があるのではなく、ダ・ヴィンチの追い求めた理想像をうっすらとモデルに重ねて描いたというところが本当かもしれない。それにこの絵画はダ・ヴィンチが亡くなるまで部屋に飾ってあったようで、誰かの依頼によるものとは考えにくい。


ダ・ヴィンチの思想を端的に表す言葉が、巻頭に示されている。

省略者は認識と愛を侮辱するものである・・・・従って、認識が確実になるほど、愛もまた熾列になる・・・・短きを喜ぶ者は、愚かさの母の短気だけである
RL19084r

何につけても仕事を省略して要領よくまとめ、得々とする人々を軽蔑し、「省略者」または「忘却者」と厳しく唾棄したのだそうだ。
もしダ・ヴィンチが企業に勤めるエンジニアだったら、相当な頑固なジジイと呼ばれて誰からも理解を得ることなく、わが道を行く人物であったかもしれない。だが、こういう人物こそ深くオリジナリティを秘めた真の技術者であることが多いのだが。


楽しみな書物を手にして今日はちょっと愉悦の気分を味わっている。