たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

いちおう投稿した

全く詩が思い浮かばない状態が、1年以上続いている。昨年も、生涯で2回目の応募投稿してみたけれど、作品を自分で振り返って、これはうまくないな、ちょっと違うなと感じた。最終選考までは残ったみたいだけれど、評はいただけなかった。そのほうがよかったかもしれない。


今年は、初めから諦めてやめておこうと思っていた。でも締め切りの1週間前になってダメモトで出してみようと考え直した。その心境の変化には、いろいろな要素があるが、努力する前にやめてしまえば、努力の結果はじめて気づくことも、投稿のあとにおきる事柄の可能性を全く捨て去ってしまうこと、可能性のある展開に全く参加できないのは確かだ、ということがある。ダメモトだがその上にダメでない何かがあるかもしれない。それは自分では推し量れない。


もう一つの動機は、好きな詩人の詩をとにかくパラパラと読んでみたことがある。辻征夫、八木幹夫、池井昌樹、四元康祐などの各氏の詩を読んでみた。みんなスタイルも優れてうまいなと思うのだが、要するに書きたい放題だなと思ったこと。どの詩も書かれる前は、そんなスタイルは決まっていたわけではないだろう。書く前は何が出来るのか見えなかったに違いない。これから出来上がる詩のよさを見据えた上で書いたわけではないだろう。みな、不安だったはずだ。不安だったけれど、しかし書きたい放題書いているのだなと思った。


ならば同じではないのかな。書けない状態だったとしても、無理に書いてみればその時点で事態は進むのではないかな。そう考えた方が悔いが残らないのではないかな。いいたいことをまず言ってしまうほうが勝ちではないかな・・・