たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

自分にだまされて

今日は体調が悪いから、買い物に行くのは止めておこうなどと、疑問もなく考える日々だけれど、真実はそうでない場合も結構ある。本当は買い物に行くのがとても億劫で、あるいは面倒くさくて、それをなかなか周囲に対して口に出せない状況のとき(そういうことってあるでしょ)、急に体調の悪さに気づく。あるいは急に体がだるかったり腰痛が出てきてしまう。体には口がない。だから体調がよくないなどと、いい口実に使われてしまう。ものごとを決めているのは、深く隠れた心のほうではないか。


それが証拠には、多少熱があるような体調の日でも、スキーに行く予定の日では、体調を理由に、スキーを取りやめにはしない。いや、絶対に。さらに、スキーをすれば体調が戻って、直るかもしれないとまで考える。風邪気味なのだが呑みにいきたい酒好きが、アルコール消毒すれば回復するかもしれない、ストレスを発散すれば直るかもと考えるのと同類だ。口実はいくらでも付けられる。


こんな風に自分にだまされ始めたら、どこまで自分を見失うことか、計り知れないと思う。周囲への害毒も相当なものである。しかしながら、自分の本心を知ることはとても難しい。自分はこれを本当にしたいと思っているのか、あるいは自覚していない別の理由に突き動かされてそう思っているのか、悩みだしたらきりがない。


最近、屁理屈を聞くと、それだけでダメだと思う。グチャグチャになった理屈からどうしたら逃れられるのか。奥深く潜んだ本心にどうやって到達したらよいのか。


昔、読みあさった森田正馬博士の著書に、「純なこころ」という言葉がしきりに登場する。博士は、ノイローゼに陥った患者に、純な心に帰ることを説くのだが、若い頃著書を読んだときは、あまりすっきりとはわからなかった。しかし、自分にだまされないためには、この純なこころに立ち戻るしかないのではないかと思う。純なこころを認め、それに素直になること。