たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

[生き方]団塊世代の妻たち

団塊世代の技術者の定年が、2007年問題とか言って社会現象のように語られる。
対数の多い世代というのは、生まれたときから社会にいろいろな変化やひずみを
もたらしてしまう。とうとう定年を迎える時代になったということだ。
大量の技術者の定年は、企業にとっていろいろと負の要因をもたらす。
技術は、人についていくものと信じている。人から人にしか伝わらない。


ところで、技術者の定年を調べていたら、なにやら興味深いサイトを見つけた。
団塊の妻たちは、何を思って日々を過ごしているか匿名で語っている座談会だ。
男性側からすると手厳しい指摘に満ちていて、正直居心地が悪い。
熟年離婚を思案中の妻や、単身赴任の夫をもち気ままに暮らして来たが、
定年後は家に戻るためとても気が重いと語る妻。
座談会 団塊世代の妻たちの本音<その1>~今からでも遅くない夫婦関係の修復~ - 日経BP セカンドステージ


かつて企業戦士とか言ってモーレツに働くのが当然とする時代があった。
会社を心のよりどころとして仕事も付き合いも趣味も職場中心に回る。
家庭は単に、メシ、フロ、ネル、の3語だけ。
そんな風におのれの人生や生き方を形成してしまった企業戦士の裏側で、
家庭に残ったひずみが、吹き出てきたという印象すら受ける。
曲げられたバネは、いつかそのひずみを戻そうとして逆向きに力を作用させる。
団塊の妻たちが家庭の中や心の中に鬱積させてきたものたちが逆襲する。


外へ出ようとしない夫という指摘が語られている。
つまり外へ出ても友人がいない。したがって家に引きこもっているような状態になる。
企業を去れば、それまで付き合ってきた友人も一緒に去ってしまう。
立場や役職ありきで成り立っていた付き合いは、
定年でただの人になってしまうとともに、キリのように消えうせてしまうということだろう。
そしてただの人に戻ったときに、対等な立場から友人関係がつくれるかという問いに直面する。
地位のあった人ほど、プライドが邪魔してそれができなくなっている。
いまだ会社の残滓を引きずっているというわけだ。


家に引きこもった状態で、それならば家事をするのかといえばそれもしない、
という場合も多いようだ。そもそもそれまで家事をしたことがないのだから、
意図して始めなければできるわけがない。
そして、その意図してスタートするところに、やはり長年培ったプライドが邪魔をする。
そんなことできるか、という訳である。


要するにただの人なんだから、ただの人らしく
普通に自立していきなければ成り行かないということなんだろうなぁ。