台という道具
先日、スキー板のチューンナップ用品を揃えてしまったことを書いたが、
同時にスキー板の固定台を自作した。
たいていは、週末の空き時間を利用してこのような製作作業にかかるので、
この固定台の場合は、夕刻から始まって夜10時くらいまでかかった。
むろん外での作業だから照明を準備し、零下にまで冷え込んだ寒空の下で
ノミやらノコギリやらで作業した。
何故かわからないが、上着なしのシャツ一枚でも集中しているときは
寒さを感じない。
ところで台という道具、一見して目立たないのだが、
ある意味でいちばん重要な道具である。その重要性に気づくまでは
あれこれと試行錯誤がある。何だか作業がやりにくい、その理由はよくわからない。
やがてその必要性に気づきそれを捜し求める。でもそんな台は売ってはいない。
そして自作することになる。
台は基準を作っているともいえると思う。
そしてボクたちの視線は、台がある下には向きにくい。
とかく台の上の派手な部分に注がれている。
だから台という道具は存在が忘れられる。
環境問題が近年騒がれだしたが、ボクらの生活や活動の一切を
地球という土台が支えていたことに気づいて、
やっと視線が下に向いたのだ、と言えなくもない。
安心してきた土台が、グラグラしてきたということかも知れない。