たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

[思索]やはり変人なのか、画家は・・・

久しぶりにゾクゾクする本と出合った。久石譲さんの『感動をつくれますか?』。
本を買うとき結構ためらう方で、何週間にもわたり買おうか買うまいか迷うことも少なくない。そのうち買いそびれてしまうこともある。
久石さんの本は手に取りページを開き、目にとまった一文を読んだだけで買うと決めた。最短記録じゃないかな。
なんというのか、香りがするんだなぁ・・・。これは長いこと求めていたものだ、間違いないという確信が生まれる。
何を感じたのか、あとで考えてみると、これはクリエイティブなことがらに携っている人独特の香りを嗅ぎつけたということなんだよね。あるいは煌きと言っていいと思う。


久石さんは言うまでもなく宮崎アニメの映画音楽の作曲で有名になられた方だ。
その昔、ボクは遅い手習いのフルートを、ある先生について習っていた。この時のI先生が久石さんと同じ音大出身で、世代もほぼ同じで知っていると言われていた。このI先生とは10年くらいお付き合いさせていただきレッスンを受けたのだが、人生や宗教や読んだ本など、そんな会話で2時間くらい話し込んでしまう。最後に思い出したようにレッスンが始まり、曳きまわされ、ひと汗もふた汗も掻いて。


で、久石さんの本を読んでいてちょっとハッとする文章があった。
先日の記事の図形と文章に関連するような内容なのでおどろいた。

 あるラジオ番組に出演したとき、ゲストで養老猛司さんに出て頂いた。僕は番組のナビゲータ役もつとめていたのだが、そこで「絵を描く人は変わった人が多いけど、それには理由がある」という興味深い話が出た。
 養老さんいわく、時間軸と空間軸の中で創造されるものは、みな論理的構造を持っている。どういうことかというと、例えば、言葉あは「あ」だけでは意味を成さない。「あいうえお」とか「ありがとう」と連ねることで初めて意味を持つ。本も、文字ー言葉ー文章、そして文脈の連続性のもとに書かれる。・・・
(略)
 つまり、音楽も文字も映画なども、時間の経過のうえで成り立っているものは、論理的構造を持っているということだ。
 それに比べて、絵は作品が表現するものを見た瞬間にわかる。瞬時に世界を表現できる力がある。時間の経過を伴わない分、論理的なものより感覚に直に訴える。だから、絵の人は考え方や行動においても、感覚的なものが突出する面が強いらしいのだ。
p27〜28

そして続いて、絵の人は常軌を逸して、自由に破天荒に生きる傾向にあると記されている。何とその事情をうまく説明しているのだろう。
 絵とか彫刻とか、たぶん建築もそうだと思うけれど、空間的な広がりを使って表現する美というのは、人生の時の流れをブツッと切断して見せた切り口みたいなものだ。ここでは時間は止まってしまっている。止まった時間というのは、永遠に変わらないことなので無限の時間を投影した象徴として考えることもできる。


また難しい話になってしまったけれど、絵を描く人というのはちょっと奇人、変人が多いのだと心得ておけば安全だろう。