たぶん絵的なBLOG

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サーリプッタ尊者

怒らないこと、謙虚であることでたいへん有名なサーリプッタというお坊さんの話。
サーリプッタ尊者は、お釈迦様の右腕とされ、周りの信望が厚く、
友人の目連尊者とともに2大高弟と言われている。
目連が神通力第一といわれたのに対し、サーリプッタは智慧第一と称せられている。
般若心経で、有名な一節に、

舎利子 色不異空 空不異色・・・

とあるが、これは観世音菩薩がこのサーリプッタ尊者への呼びかけている部分である。
舎利子とは、玄奘三蔵法師がサーリプッタの音を漢語に翻訳した言葉だ。


以下は、今読んでいるスマナサーラ師の『怒らないこと』の中に出てくる尊者の逸話。
はじめて知った。とても印象に残ったのでメモしておきたい。


あるとき、性格ができているという評判を聞いた一人のバラモンが、
サーリプッタをひとつ試してやろうと、托鉢に出て歩いていたサーリプッタの後ろから、
頭を突然激しく殴った。
どうせ人間だから、シッポを出して取り乱すに違いないと思ったのだろう。

ところがサーリプッタ尊者は振り向きもせず、そのままゆっくりと歩いているのです。そのバラモンの人は殴ってからの反応を待ち構えていましたから、拍子抜けしてしまって、後から尾いていくことにしました。それでも、サーリプッタ尊者は見ようとはしません。

バラモンは、なにかとても恐ろしいものに出会った心地だったのだろう、
冷や汗が出て体が揺れ始めた。しまいには尊者の前に進み出て、その行為を謝った。

すると「何でしょうか。何をしたのですか」とサーリプッタ尊者が聞くのです。それほど「殴られた」ことは頭にないのです。「おそらく、あのとき私を殴ったのはこの人ではないか」という妄想もないのです。それで、その人は「それさえも、この人の頭にないんだ」とさらに恐くなったのです。

このような逸話が伝わるほど、サーリプッタ尊者は、怒りという感情を克服し、
心の中から怒りの消えた生活を送っていたということなのだろう。


すぐ怒りに心を支配されてしまう自分自身を振り返るたび、この話のすごさを感ずる。
怒りの感情は、蔓延して心に食い込み、本能のようになってしまっているからなぁ・・・
スマナサーラ師によれば、人が不幸に陥る諸悪の根源は、この怒りという感情だそうだ。


なお、サーリプッタ尊者は謙虚であることでもぬきんでていたらしく、
あまりに謙虚で控えめに暮していたので、どの人がサーリプッタ尊者ですかと
人々が尋ねたほどらしい。
釈尊の右腕と称せられるサーリプッタ尊者でさえ、これほど謙虚なのかと、なんだか愉快。
サーリプッタ尊者をとても身近に感じてしまった。
世の中、オレが、オレがという人ばかりだからね。