たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

[本]米長邦雄著『不運のすすめ』

米長さんは将棋のプロ棋士、現在は現役は引退されて、日本将棋連盟会長の職にある方。思い返すと10年くらい昔だろうか、やはり米長さんの著書を読んだ気がする。勝負師として生きてきた人の人生観には、独特のかおりがあって嫌いではない。


その嫌いではない理由はどこにあるのだろうか.。自分ではどうにもならない運というものに翻弄されながら、その中で最前の手を模索する姿勢にかおりがあるような気がする。勝負する際、勝つこともあれば負けてしまうこともある。負けることをゼロにすることはできない。負け続ける日々もある。勝負師の場合は、相手も同様に勝つための作戦を常に練っているわけで、勝率を5割からいかに高めるかが目標となる。


むかし愛読した阿佐田哲也さんの『うらおもて人生録』の中にたびたび出てくる言葉を思い出した。曰く、「相撲で言えば9勝6敗が勝ち」なのである。6回は負けの苦い夜を過ごさねばならない。それでも成功なのだ。その連続の人生の中で目指し掴むもの。その哲学は傾聴に値すると感じる。


サラリーマンの世界だったら、3割も4割も仕事に失敗して負けていたらアイツには仕事は任せられないということになる。たぶんサラリーマンは、99.5%くらい成功し続けなければならない。失敗を回避することも仕事の内で、どう転んでも仕事をした成果を必ず残さねばならない。運とか偶然とか不確定な要素を排除するのがサラリーマンの仕事のようなものだ。この辺が、勝負の世界が興味を惹かれる理由かもしれない。


表題にある『不運』ということについて、独特の考え方が綴られていて興味深い。どんなに努力しても自分の努力では、補えないのが勝負の世界。負け続けてしまうこともあり、おのれの不運をかこつ時期も迎えなければならない。

やはりいちばんいいのは、じっとしていても、その姿勢が反撃のためのエネルギーを貯えている形である。それが「不利の勢い」につながっていくのである。


勝負を捨てない姿勢が優勢な相手へのプレッシャーとなる。ひとたび相手がまちがい手を打った際に、それを咎めて一挙に反撃に出る体制を貯えているのが、「不利の勢い」というのだそうだ。

人生で大事なことは、運・不運を司る女神に、生涯を通じて好かれたかどうかである。
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しかし幸せな人生だったかどうかは、現役時代にどれだけ勝ったか、どれだけ高いポジションに昇れたか、だけでは判断できない。六十歳から始まる本当の人生で、どれだけ人から好かれ、人から求められる存在であるかが問われる。
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人は往々にして、目先の勝負や金運などに女神を求めがちだが、もっと大きな視点から人生を考え、そのゴールで女神の判定を受けるべきなのである。