茂木健一郎『生きて死ぬ私』
脳科学者の茂木健一郎さんが33歳のときに出版した哲学随想という趣の書籍。
たまたま、うつについて書かれた本を買うために書店に立ち寄った際、
ついでに何かないかなと偶然手にした本だった。
論じられているテーマのそれぞれは、とても小文でコメントできる内容ではない。
第1章 人生のすべては、脳の中にある
第2章 存在と時間
第3章 オルタード・ステイツ
第4章 もの言わぬものへの思い
第5章 救済と癒し
第6章 素晴らしすぎるからといって
でもテーマを、ゆったりと、ガサゴソしないで記述する論じ方、そして未解決なことがらへ
真正面から向き合う姿勢にはとても共感を覚えて、とても読みやすかった。
ある意味で、自分自身はっきりと向き合わずに生きてきた課題のようなものを、
突きつけられたような気がするのだ。
とても印象に残った一節をここにあげる。
もはや、キリスト教の教義も、ブッダの競技も、私たちの持っている宇宙や人間に関する
知識とは相容れないものになってしまった。もし、次の宗教的天才が現れるとしたら、
その人は、今日の最高の知性でさえ納得せざるをえないような、世界と人間のあり方に
関する新しいシナリオを提示する人となるだろう。そして、その教義は、現在、私たちが
持っている宇宙や人間の成り立ちに関する知識と整合性を持つものでなければならないだろう。
世の中に天才と呼ばれる人は数多くいるが、めったに出ない天才、しかもここ何百年と出ていない天才は、
宗教的天才だと論ずる。もし今後、そのような天才が出現するとすれば、
上記のような現代われわれが獲得した、宇宙、量子、遺伝子、脳科学、美についての知識を
包含しうるスケールを持たねばならないことを指摘している。
その通りだと思う。
しかし、それだけ大きなスケールの教義をわれわれはすんなりと受け入れるだろうか。
おそらく幾多の迫害や非難、批判にさらされて何百年もかけて浸透するものなのだろうなと考えた。
郡盲像を撫ず。