たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

人生論総覧のおもむき

勢古浩爾著「結論で読む人生論 〜トルストイから江原啓之まで〜」を読む。
通常、頭の部分が面白く、そのパターンで押し通されるので、
後半はマンネリ気味となり、放り出してしまう本が多いが、これは全く逆。
前半はお義理で、著名な作家、哲学者の人生論をなぞっていき、
御座なりな感じでガッカリであったのだが、後半にさしかかると俄かに
著者のお気に入りの人生論、生き方の紹介がこれでもかと出てきて、
満足なフィナーレとなった。


実は書店でパラパラと見るとき、この本の結論はなんだろうとついつい読んでしまう
クセがあるのだが、この本も例外ではなかった。
なんと、終結部はヘルマン・ヘッセであり、ターシャ・チューダ−なのだ。
しかもガーデニング!これは買うしかない、というものである。


人生の意味を問いかけるなんてやめておけ、という気分である。
次は、ヘッセの言葉。

・・・その幸福が決して長く続かなくとも、それはたぶんよいことなのかもしれない。
目下この幸福は、定住して、家郷を持つという気分、草花や、樹木や、土や、泉に
親しむこと。一区画の土地に対して責任を持つこと、
五十本の樹木に、いくつかの果断の草花やイチジクや桃にたいして責任をもつことは、
実にすばらしい味がする・・・「庭仕事の愉しみ」


責任を持つという言葉に、その思いの深さを感ずる。
責任を持つこと、配慮すること、慈しむこと、というふうに言葉が続くのだろうと想像する。
さまざまな頭で考えた観念的な概念をいじくり回すより、いちどでも草花を
あるいは樹木を植えてみるといいと思う。スコップで土をほじり返し、
土の匂いを嗅ぎ、ミミズやら幼虫に出くわしながら草花を植える。
このことだけで、人間は深いところから癒され安心を受け取るのだと思う。
たぶんボクたちは土や太陽や空気から生まれ出てきて、やがてそこへ帰っていく。
人生を支えているベースに触れている気がするのだと思う。


庭いじりなんて年寄りのすることじゃないか、という意見もあるだろう。
若いときには土から離脱して、そこからできるだけ離れようとするからね。
でも上の方にふるさとはない。それは経験からわかった。


そんな訳で、後半は4つ星くらいの読後感だった。