本日休業なり
昨日から頭の芯が痛く、やがて次第に関節痛が全身に広がり、
なんだか体調が崩れてしまった。
今朝は、無理すればなんとか行けないことはなかったが、
午前中でへたばりそうな虚弱な体になったようで、
けっきょく会社を休んだ。
業務を休むといっても、アパートで横になっているだけだから、
ほとんど体力が回復するために怠惰に時を過ごしているだけだ。
朝食後は倦怠感に襲われて、気づいたら昼まで寝通しだった。
こんな身辺雑記を書くことはめったにしないが、それを書くのは、
平日に休みを取ると、いろいろなことを思い浮かべるものだと痛感したから。
まず、おのが体に沁みついているサラリーマンの習性である。
食料を買いに近くのスーパーに出かけたが、当然のことながら女性が圧倒的に多い。
世の男性は、とくに勤労世代は会社にいるのだから当たり前である。
しかし、女性と非勤労世代がひしめく店内をうろうろすると、
こんな世の中もあったのかと感慨ひとしおだった。
いや休日より平日の方が多いのだから、いつもこんな世の中だったのだ。
自分みたいにきょろきょろとあたりを見回すことなく、
みんな何の不思議もなく当たり前に買い物をしているではないか。
そして次に思い浮かべたことは、勤労世代からリタイア世代になれば
自ずとこれが日常になるのだということだ。
自分の現在の意識となんと隔絶しているんだろう。
平日に休みを取って平日の昼間にスーパーの中を歩くことが、
これほど違和感を感ずるものならば、オレってリタイヤしたら
そうとう精神に激震が走って、きっとガックリくるんだろな、という予感である。
これじゃ、体は休んでいるのに心は会社にあるという、現代版の倩女離魂(注)だな。
本当に自分の足で自分を支えているんだろうか。しっかりして欲しいものだ。
いささか、体ばかりでなく心さえ頼りなく感じる一日だった。
(注)『無門関』第三十五則