自己という存在
医師でカウンセラーの明橋大二さんが著された『輝ける子』を読んだ。
副題に「100メートルを10秒で走れといわれてもさ、
いっくら努力しても走れない奴っているじゃん」とあるとおり、
子供の育て方に関する明橋さんの強烈なメッセージである。
まず飛び込んできた言葉は、
「人間が生きていくうえで一番大切なものは、『存在への安心』」
ドキッとした。
「心の底の悲しみ −どうしてこんなに自己評価が低いのか」
これは子供のことを言っているのではない、と思えてきた。
「自己評価には2段階ある。第1段階は、存在に対する安心。
自分はここにいていいんだ、ありのままで、存在価値があるんだ、
自分はいらない人間なんかじゃないんだ、と言う感覚です。」
「第2段階は、能力に対する自信です。
勉強ができる、スポーツができる、お手伝いができるなどという
自分の能力に対する自信です。」
そして、能力への自信は、周囲の人からほめられることにより育まれる。
しかし、存在への安心は、親が自分の存在を喜んでくれているという
感覚からしか育まれない、と明快に断言される。
自己存在への安心感が育まれなかった人間は、
能力を周囲にアピールすることでしか、自分の存在意義を見出すことが
出来なくなる。その結果、周囲に能力を示し続けることで(迎合することで)、
自分の存在を支える大人になっていく。
そして自分を圧殺し続けて、やがて疲れきってしまう・・・
なんだか、恐ろしい話だ。
こんな言葉も。
「わがままだったから、不登校や心身症、拒食症になるのではない。
マイペースにできず、ひたすら人に合わせようとして、
無理を続けるからだ」
すごい言葉を吐く先生がいるものだ。一気に読んでしまった・・・