たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

興味をいだく

曹洞宗板橋興宗禅師の著書を読み、得るところがあった。
そうなのか、そういうことを示していたのか。


たとえば、「父母未生以前の自己」とは何かを言え、
という問いが禅の修業では良く使われるらしい。
自分の父母が生まれる前の自分とは何かを言うことを求められる。
論理的に考えれば、まったく矛盾した問いかけである。


これは、メチャクチャに聞こえるが、
でもまんざらそうとも言えないことがわかってきた。
父母が生まれる前の自分を掴まなくてはいけない。
まだ頭のレベルだが、ようやくわかってきた。


道元禅師の著書を読んでみたくなった。
本棚を探ってみると、現代訳『正法眼蔵』が出てきた。
購入したのは、1984年4月とちょうど22年前。
当時、気になり購入したとみえる。


現成公案という節の書き出しの部分。

・・・
総てのものごとを無我の立場から見るとき、迷いもなく悟りもなく、
解脱した人もなく解脱しない人もなく、生もなく死もない。
・・・
生死を解脱したところに生死があり、迷悟を解脱したところに迷悟があり、
解脱をあるなしを問題としないところに解脱があるのである。
しかしなお、そのことがわかっていながら、解脱を愛し求めれば解脱は遠ざかり、
迷いを離れようとすれば、迷いは広がるばかりである。
・・・


こんなに明々白々に書かれているなんて面白い。
難解で知られる道元の著作だが、興味をいだいた。