たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

夜更けの雑感

駒ヶ根の周辺にも春らしい風が吹き始めた。
冬の間、水を断ってきたサボテンたちにも給水を始めた。
前年11月に最後に水をあげたきりだから、4ヶ月くらい水なしで生活してきたことになる。
乾燥した冬季に徐々に体表面から水分が蒸発して奪われるため、
全体の大きさは半分くらいにシワシワになる。表面の色つやもなくなり、
もう枯れてしまったかと思うくらいだ。


気候が零下にならない地方ならば、水を断つ必要はない。
しかし駒ヶ根のように零下15℃くらいまで気温が低下する地方では、
温室に入れ加温して、かつ水を断つ必要がある。
水を断ってしまうのは、サボテンの中に蓄えている体液の濃度を上げ、
専門用語でいえば、凝固点降下させて、零度になっても細胞中の水分が
氷にならないようにするためだ。


しかし季節が至れば、惨めな姿から、新しい刺を出すものやつぼみを
膨らませ開花するものが出てくる。気候の変化をしっかりとわかって活動を
再開するわけだ。そのタイミングは本当に見事で不思議だ。
これは成長した大きなサボテンに限らない。
何故なのかは不思議としか言いようがないが、実生で育てた数ミリ径の
小さな幼苗サボテンでも季節を知っている。


たぶん、細胞の中の染色体に含まれるDNAのプログラムには、
そのような成長システムの仕組みが込められている。
で、このプログラムは突然変異でもしない限り、きっちり正確に転写されて
子孫に伝えられる。だから体径によらず、同じ種類のサボテンは
ある時期にいっせいに季節を知り、成長を開始したり、花を咲かせたりする。


このようなことから、生命の本質はDNAであるという考える学者もいる。
DNAは子孫に伝えられ、個体が滅びようとDNAは生き延びている。
いや何億年と生き延びてきているのだ。DNAに仕組まれたプログラムが生命の
本質だとするなら、DNAがいずれかの個体に保存され伝播されるならばよいのである。


食料が不足するために、あるいは個体数が増えすぎたため、
個体の生存が脅かされる環境条件となったとき、その個体数を減らすために、
不可解な集団自殺をしたり、殺し合いをすることもありうるだろう。
DNAの生存という主軸で、生命現象を考えるべきだという考え方だ。


そんなことをいろいろ妄想していると、この世界には生命があふれて、
至るところDNAが生存をかけて熾烈な活動をしているのだともいえる。
こうして意識しないうちにも心臓は必要な鼓動を繰り返し、肺は必要な
空気量を呼吸し、血は体内を巡り、生き延びるために会社で働き、
金を得て食べ物を食べる。全てはDNAの指令のもとで行われているわけだ。


ゲノム解析によりDNAに含まれる全情報が解読されたとき、生命の意味や、
世界や宇宙の意味なんかが、今までとはまったく違ったアングルから
暗示され、宗教や神という概念すら変化するかもしれない。