たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

競争原理

競争する社会だなと改めて思う。競争し勝つことに価値観をおく社会構造になっている。したがってそんな社会に生きるボクたちの精神構造の中にも、競争原理が強く染み付いている。それを余り意識していない。当たり前と思っている。競争の勝者になれば有頂天になる。敗者になればひどい落ち込みだ。存在価値すら失ってしまったように感じる。


競争の勝ち負けに自己の存在価値すら賭していることは、果たして当たり前のことだったのだろうか。勝てば存在意義が増すのだろうか。負ければ減ってしまうのだろうか。


競争原理を受け入れてしまうと、自分の存在の基盤があやふやになる。自分の価値というものを証明し続ける努力を無用とは言わないが、競争の果てに得られる評価に自己存在の基盤を置くというのは、天地が逆だ。競争する圧力に押され続けている自分がいて、競争により得られた「結果」が自分という「原因」の価値を決めるとは、どこから逆立ちをするようになったのだろう。


存在は「許されてある」というあり方をしているもののはずだ。存在はすでに存在していることから始まるはずである。しかし敗者になったとき、存在することが許されているか、という問いかけをボクたちはしてしまう。精神は疲弊する。闇は深い。