たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

再会

友人のほりべえさんから紹介された古書検索を利用し、長年探していた「最後の30秒」をさっそく注文、宅急便で届いた本と30年ぶりに再会した。友人のコメントの存在と、ネット社会の利便性がなければ、このような再会はまずなかっただろうと思う。ありがたいことで感謝である。


長い年月は、確かと思っている自分の記憶を少しずつ変質させるのだろうか。まず箱入りの書籍だったということがすっぽり抜けていた。それに、羽田沖全日空機墜落事故の事故調査結果を、もう少し啓蒙的にかみ砕いた解説書という記憶だったのだが、まったく異なっていた。様々な側面から学術的な側面から検討を加えた論文形式で、427頁におよぶ大著だった。


30年前になぜ買わなかったのだろうと、家内と話し合った。当時の価格で2,000円とは、どのくらいの価値だったのだろう。お金の無かったあの頃(今でもあまり変わりがないのだが)、金額的なことで購入を躊躇させたのだろうか。自分の初任給はいくらだったろうかとか、新婚当時の賃貸アパートの住居費の値段はどのくらいの相場だったのだろうとか、話はどんどんと展開していった。


しかし自分が当時惹きつけられた理由は、本との再会を果たして、すぐ分かった。
事故の真実に迫ろうとする事実に即した研究態度が、書籍に端々ににじみ出ていて、予断を交えない、技術者としての節度ある態度にいたく感銘を受けたのだ。このことは30年経過しても記憶の誤りはなかった。
「あとがき」に山名氏は書き綴っている。

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ロダンに限らず、芸術家の美の創造、科学者の真への歩み、それには喜びと同時に悲しみがあるであろう。羽田沖惨事の事故の解明には、事故機を再び生前の姿に立ち返らせ、事故の過程を眼前に再現しなければならない。この仕事には苦痛がある。しかしそれは、私たちが耐え忍ばねばならぬ苦痛である。
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別れは悲しいものである。
事故機JA8302の残骸を初めて見たときには、今までに何回となく事故でこわれた機体を見てきた私にも、何か異様な怪物を見るようなある種の違和感があった。
しかしその後、何回となく破壊や変形の模様を調べ、それぞれの揚収された位置と照らし合わせて、機体が接水し、そして刻々に破壊されていく情景を日夜、4年近く想像しつづけているうちに、いつの間にか、事故機の断片の一つ一つの表情が心に深く沁みこんでしまった。
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全日空機(JA8302)事故技術調査団団員辞任の辞表を出した帰途、再び見ることのできないであろう機体、そのうちにスクラップとして処理されてしまうであろう断片の一つ一つに、私は心からの別れを告げた。
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