たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

ひとりつぶやくたわごと

人間は何も知らない赤子の状態で世の中に出てくる。
そして知識や世の中のルールを学び、あるときは苦しみ成長していく。
人間に限らない。馬の子供も、魚だって、世に生を受けて、
生きるすべを学び、病気や災害にあいながら、幸運な子供は成長する。


人生は苦しみの連鎖であり、楽しみや救いなどないのだ
というペシミスチックな思想が一方ではある。
若い頃は、世をナナメに見ている姿勢に、ちょっと普通とは異なる魅力を
感じたこともあった。
しかし、今は大分違うことを考えている自分を発見する。


生命はなぜ生まれてきたのだろう。
個体は、限られた寿命のためにいずれ死ぬ。
死ぬための遺伝子が用意されているくらいだ。
死ぬほどの年齢になると、子孫たちが繁栄することを願いつつ
その定めに従う境地になるのだろうか。
命は、命を次の世代に手渡すことで深い安堵の気持ちになるのだろうか。
気持ちとしても、そう遺伝子に組み込まれているのだろうか。


宇宙は、なぜ生命を生み出したのだろう。
究極の高い自己意識を生み出すことが、宇宙の目的だと唱える説を
読んだことがある。宇宙は、宇宙自身を認識するために知性を持った人間を
生み出したという説だ。
その人間は、いずれは宇宙の謎に挑む。謎を解明する。


また、たとえばロボットの開発。
子供のころから友人となりうるロボットの出現に憧れた。
人間は、最終的に人間を作りたくなるように感じていた。
恐竜のようなメチャクチャなロボットや、アメーバのようなロボットを
作りたいとは思わない。人間の背丈をして人間のような顔をして
人間のような表情豊かなロボットを、何故か目指す。
ここには、生命を手渡すという原型があるように気がしてならない。


トコトン問い詰めると解らないことだらけなのだ。
地球には無数の生命体が宿っているけれど、
命の営みや仕組みを考えているといつも目眩がする。
これはどんなパズルなんだろう。