たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

古くて新しい詩

本棚から『会田綱雄詩集』を引っぱりだし読み始めた。
裏表紙に記した購入日付けを見ると、1972年11月2日有燐堂にて、とある。
おそらく大学への通学途上だった横浜駅の近くの有燐堂のようだ。
33年前に相当するから明確ではないが、どこかで代表作の「伝説」を読み、
渇望するように捜し求めて購入したことを記憶している。


当時の印象は、詩とはこんなに自由に書いてもいいものかという思いが半分。
後の半分は、詩らしくないな、というものだったように思う。
いかに当時、自分の詩への思い込みが、形式的で固定的だったかがわかる。
朔太郎や中也を読んでいた頃だったから。


会田綱雄の詩をいま読み返すと、まるでごく最近作られた詩であるかのようだ。
時代の流行に無縁の、つねに新鮮な表現を湛えた詩であることに驚く。
チャラチャラと世の中のうつろい行くものをみんな剥ぎ取ってしまって、
最後に残る、人が生きるとは何かの問いかけを主軸にしているからなのだろう。
そういう意味で、時代の変遷に色褪せない新しい詩であり続けている。


会田綱雄の詩というと、なぜだか思い起こす言葉は、
「いいるうぴんあん(一路平安)」という詩の末尾の響きだ。
戦争が終結し和平がおとづれることを祈りつつ、
「僕」から「あなた」への語りかけが綴られる。
僕が誰であり、あなたが誰であるかは判らないのだが、
それはどちらでもいいことなのだろう。
その語りかけのやさしい響きと、
生きることへの視線のようなものが、印象に残っている。


 ・・・
 祝砲千発の轟きは
 あなたの墓標をゆさぶり
 僕の墓標をゆさぶるでしょう
 もしもそのとき
 おたがいが生きているとしたら
 きっとあなたは僕を思い
 僕はあなたを想うでしょう
 それまで
 さようなら
 一路平安


   「一路平安」より