たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

自信というもの

人はどうして自信を持つようになるのか、自信とはいったいどのようにして内部に確立されるのか、昔からよく判らなかった。
いまは判っているのかと問われれば、どちらかといえば「否」という方が、妥当な気がする。


挫折の経験や、自己を強烈に否定される経験をした人ならば、平穏な日々のなかで、
無自覚に持っていた自信のごときものが、実は何も根拠がないシロモノであることに、同意してくれるだろう。
自分だから正しいとか、自分は間違うはずがないとかいう自信など
イザというときには役に立たない漠然とした感情に過ぎないと思う。
素朴な自信というものは、明日もたぶん生きているだろうと思うくらいの
いい加減なものなのだ。
自分自身に対する本当の信念というものは、そんな生易しいことでは生まれない。


人間なんて当てにならないものだし、いい加減もいいところ、
口八丁手八丁の、行き当たりバッタリの生き方を繰り返しているものだ。
苦しくなれば何でもやるし、運に恵まれればたちまち有頂天になってしまう。
だから唯一信頼していいのは、人間はそんなチャラチャラしたものだという自覚くらいのものだ。
これは皮肉なことに、おそらくいつの時代になっても変わらない普遍の真理である。


幸か不幸か、児童の頃や少年時代から、素朴な自信を持ち得ないような精神環境に置かれていたため、
ボクの場合は素朴な自信を持たずに今まで生きてきた。
そのことで、いつも消極的だとか、やる気がないだとかの批判の声に晒されて来た。
しかしそれに反論したことはない。全くその通りなのだから。
今日があったように明日もあるし、明るい将来があるんだ、という素朴な楽観論とは無縁だ。


しかし、あまりにも自信が無いように見えるためか、よく励まされる。
もっと自信を持ってねとか、酒でも呑もうよ、元気だしなよとか、云々。
スキー場のリフトの上で、何も言っていないのに、アナタいい滑りしていますから、
もっと自信を持ってくださいと、力づけられる。
うーん、そういうのとは違うのだけれどね。
体から自信がないぞーと蒸気でも発散しているのか・・・