たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

メンタルヘルスのセミナーで

先日、あるセミナーを聴講した。
職場で相談員みたいなことを仰せつかっているのだが、
相談員の研修会で、心理学の先生によるメンタルヘルスの講演会を
聴く機会を得た。ちょっと風変わりな、どちらかというと哲学的な香りのする
内容で、とても印象的だった。


たとえば誰かからひどい扱いを受ける。
すると、理由の如何を問わず、たいていの人は腹を立て、
その相手の人を憎む。これは決まりきったパターンなのだそうだ。


しかし、じつは腹を立てるのは当然ではない、と先生は言われる。
「腹を立てる」という行為を、あなたが選んでいるのだと。
この腹を立てるという行為の影には、「自己正当化」があるという。
つまり「自分は間違っていない」という正当化の論理に
逃げ込んでいるのだと。
自分の都合のよいセルフイメージをモクモクと生み出す、
アラジンの魔法のランプをこすっているだけなのだと言われる。


実存哲学者J・P・サルトルの考え方が、バックボーンとしてあるらしい。
「相手の人間を憎むのは、自分が腹を立てているからだ」
「すでに被害者としての立場を自分が選び取ってしまっているので、
相手の言動に振り回され、腹を立てるという行為によって、
相手を悪者扱いしている」
こんな風に考えるのだそうだ。


そうなのか。
相手からひどい扱いを受けたと感じたとき、たしかに
「ひとつ怒っておくか」と怒ることもできるし、静観することもできる。
そんな境地もあるように思う。
パブロフの犬のように自動的に「怒り」の反応を起こすのは、
やはり本人がそのことを選び取っているかもしれない。
その瞬間に自由の空気を入れるというか、風通しをよくするというか。
ひどい扱いを受けた直後は、どう対応するかという間合いがあるように感じる。
怒りはたいていその後、いろいろと考えた結果、徐々に湧いてくる。
「だって、あんなにひどいことされたのだから・・・」