ロボットはいつか・・・
昨年末観た『アイ、ロボット』は、妙に気になる映画だ。
気になるので繰り返し観てしまった。
むろんこれはアイザック・アシモフ原作のSF小説が下敷きに
なっている作品だが、気になる理由は、次のようなキーワードだ。
「自由意志」「ある日突然組み合わさる」「所詮は缶カラ」
完全に決定的なコンピュータプログラムの集合体が、
いつか突然、予測しない結びつきをして、
プログラマーの予想すらしていなかった「自由意志」を
ロボットは持つのだろうか?
われわれ人間の「自由に考え行動している」と思っている
思考の道具(脳)も、有限な数のプログラムが複雑に
絡み合っているだけではないだろうか?
単にわれわれからその仕組みが見えないだけで。
愛犬がなついてかわいいと愛玩しているが、
犬には条件反射のいくつかの束が用意されていて、
自己保存のためにこれらの条件反射を組み合わせて、
生存しているだけではないだろうか?
夢を見てしまうのはなぜなのだろう?
犬も夢を見ているのか?
ロボットは真の友人になりうるのだろうか?
突然、自由意志を自覚するとは、
自分という個体をひとつのものとして認識する瞬間なんだろうか?
それまでは、無意識に無自覚に行ってきた言動が、
自分という全てを統合する存在のもとに集約されることを
自覚する瞬間なんだろうか?
このような問題は、遅かれ早かれボクたちの議論の対象に
なってくることは間違いない。
ロボットに生産を支えられ、やがてボクたちの介護まで、
ロボットのお世話になる時代が目前に迫っている。
ロボットの安全を確保しなければならない要請と、
ロボットをより人間に近づけたい要求とが、
未来のどこかで交わるはずだ。