不安 その3
みたび不安について記したい。
ボクたちは生命の安全、生活の快適さを求めながら生きている。
それらが脅かされそうになると、恐怖を覚えたり不安になったりする。
恐怖や不安は、いわば安全装置や警報装置として機能してきた。
健康診断を受けたり、体調がすぐれなければ医者に診てもらう。
やがて原因の除去や行動により、不安は拠りどころを失い消えてしまう。
不安という感情は、ボクたちの生活のしもべであるはずなのだ。
安全や快適な生活に奉仕するロボットのようなもの。
必要に応じて、脇から出てきてアラームを出す。
ところが「うつ」的な状況になると、この辺の関係が一変する。
ロボットが反乱を起こしたようなもので、しもべどころか
生活の中心に出てきて主役となってしまう。
”積極的に”活動をして、警報を鳴らす。
鳴らすべき事態が見当たらない場合には、無理やり見つけてくる。
主客逆転というのだろうか、ボクたちの生活の中で
不安というものが全体を支配し、ボクたちの主となる。
このロボットの言うことを介して、そのフィルターを通らなければ
何もできなくなってしまう。
それはおかしい。
おかしいが、しかし警報装置というものは、
機能上そうなってしまう部分を持っている。
とくにボクたちが「度を越して」、
ロボットを重要視し続けるならば・・・