たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

かすかな境界

できることと、できないことの境のあたりについて思いをめぐらすことが多い。結果としては、できることと、できないことは正反対の状態だが、そこへ至る出発点(原因)は限りなく接近していて曖昧で微妙なのだと。


BLOGの文章を書く際も、その辺の事情は微妙に作用している。文章が書けるということと書けないということの差はとても小さく、ほとんど一緒。身体や頭に障害があるわけではないから、文章が思い浮かばないということはないのだが、でも書けないという状態は厳然としてある。それを分けているものはとても捉えがたく微妙。


おそらく自分の勘としては、そこには気分が関係しているんだと思う。情動という脳のエネルギー源のような領域といっていいかもしれない。これらがたぶん必要条件。そしてそのエネルギーを使って登りつめなければならないと思っているのは、(これまた訳のわからぬ話だが)全体感のようなもの。未来予想図のようなもの。これが十分条件という感じ。


絵画を仕上げている際にも同じような事情はある。手を振るい、一本の線を引くことは容易い。動作としてはすぐにでもできる。しかし何かが欠けていて、一本の線の仕上げができないような状態がある。手元に絵筆があるのに、絵の具も溶いているのに、やればすぐできてしまうのに、やはりできない!


前へ進もうという気持ちが枯れてしまっている上に次のアイデアが湧いてこない。いや意欲が欠けているからイメージが湧かないともいえる。そうしていつまでも足踏み状態を続ける。完成の絵が見えてこない苦闘というのだろうか。


限りなく近いポジションなのに、できる状態とできない状態に分化していく。この落ちつかない宙ぶらりんの未決状態。脳の認識は対象物を対象化する。しかし脳の働きを左右している要因を脳は捉えることができないんだな。