たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

崩壊するということ

組織の中で、こんな傾向はおかしいと口々に言うけれど何も行動しない。あるいは行動できない。そんな状態があると思う。その存在を感じるがとても大きな問題につながっていて手に余るような疑問。それがずっと上の経営者でなければ触れられない問題の場合など。


聞かれれば当たり障りのないことを言う。本当を言えばどんな結末を迎えるのか先人の姿を見てきている。素直に感じたことをそのまま言うことはない。たいていそんな話は苦い話なのだ。みな賢くなったわけだ。こうして下にいる人間が改革を口にすることはない。


上にいる人々は実務からは遠い地点に座っているから現場のことは分からない。土地勘がないのだ。だから話をしやすい人間を重用し言うことに頼っている。勉強もしないしそんなヒマもないし現場を知ろうという動機も危機感ももちあわせない。情報のアンテナは、口当たりのよいことしか言わなくなった周囲の人間、またはあえて口当たりのよいことを進言する人間の言葉である。そんな歪んでいるとさえいえる言葉に依存する。


凌ぐとか泳ぐという言葉が思い浮かぶ。


こういう状況では中間管理職の存在は決定的に重要だ。組織のことも見えているし現場にも精通する。しかし見識のあるマネージャを遠ざけ、茶坊主みたいな甘いことしか言わない人間を配置すればもうブラインドされたようなものだ。


やがて兆候が誰の目にも明らかになってくる。上の人間もその存在に気づくものの何が原因でどう対処するのかが分らなくなる。号令をかけてプロジェクトを命じたりする。きっと隠れた真因があるはずだ、それを探し報告し改善策を提示せよというわけだ。こうして下のものは以前にも増して仕事が増え作業が増え忙しくなる。本当のことを言わない人々が何とか報告らしい報告をする。


こんな状況の中で船はズンズンと沈んでいく。甲板の上では大騒ぎしているが、所詮甲板の上の運動会を開いているようなもの。浮かぶことにはなりはしない。崩壊とは内部から起きる。