中島誠之助『ニセモノはなぜ、人を騙すのか?』角川oneテーマ21
書店で見つけた。「開運! 何でも鑑定団」のあのヒゲの誠之助さんだ。直感的にこれは面白いにちがいないと思った。事実、読むととても示唆に富んでいて愛読書のひとつになりそうだ。
ニセモノ師とホンモノ師という章があり、書き留めておきたい言葉に出会う。
ニセモノ師はホンモノが作れないし、ホンモノ師はニセモノが作れない。しかし、ニセモノ師はホンモノ師には絶対かなわない。
ピカソも描けるし、マチスも描けるし、ゴッホも描けるという人に会ったことがあるが、それは才能というよりも、創造力のない器用さのなせる業だと思う。あくまでホンモノとは程遠い、似ているだけにすぎない。
ニセモノを通じて、ホンモノより自分の方が腕がいい、才能があると、ニセモノ師が自己主張しているのではないかと感じるときがある。
しかしその生き方は違う。ホンモノを創造する人は、もともと運と努力が具わっている。もしも黒田辰秋や棟方志功のように、特殊な才能と強力な意志を持っていれば、どこにいたって、どんな環境にあっても、才能の芽は出てくるし、やがて花が咲く。
ホンモノを作り上げていく人は、美の創造に対しての信念や思いの深さが常人と違っているから、ニセモノ師とは存在する世界が違っているし、交差することはありえない。
p.156
次の言葉も本質的でいい。
いいものを見て、感動を得る。
そうして感動の土台の上に建ちあがった家は、美の殿堂になる。
しかし、感動なしに、知識という土台の上に建った家は美の殿堂にならず、それは欲張りの御殿になってしまうのだ。
p.53
こういう世界に40年も生きてきた誠之助さんは、5メートル離れていてもホンモノは見た瞬間にピンとくるらしい。手に持って虫眼鏡で見るのは、直しと汚しをみるためだそうだ。うーん、これはとっても説得力がある。
本のページに、好きな言葉や自分の名前があるとそこへパッと目が行く。ホンモノには遠くからでも目が張り付くというわけか。