たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

それも無理なら仕事を・・・

先日、映画『フライト・オブ・フェニックス』のDVDを見た。この映画は、1966年『飛べ!フェニックス』という映画のリメーク版。『飛べ!』の方は何遍見たかわからないくらい。好きな映画なのでリメーク版も買ってしまったというわけだが、リメーク版は3回目の視聴かな。


とても心に残る言葉を脇役の一人が発していることに今回気づく。その言葉を何日か頭の中で反芻している。
砂嵐によりエンジントラブルに見舞われて、広大な砂漠に不時着してしまった10人が、救援の希望がほとんどないまま、砂漠のど真ん中で少ない水を頼りに救援を待つストーリ。ただ待つことに耐え切れないそのうちの男は、突然姿を消してしまう。座して死を待つよりは砂漠を脱出する行動に賭けたのだ。それをタウンズ機長が探し出して説得する。しかし男は帰還をこんな言葉を語り、拒否する。


「座して死を待つのは嫌だ。
人間が生きていくには愛する相手が必要だ。
それがないなら、希望をくれ。
飛行機を改造してここから脱出するという希望をくれ。
それが無理なら、仕事をくれ。」
(正確なセリフではないかも知れません)


ハッととしたのは、人間に根本的に必要なのは、希望よりも仕事だということ。そのことをこの極限状態で語らせている。やはり鋭い考察だと感じる。希望のない意味のない仕事でも、仕事自体がない人生よりはマシだと言うことを表明しているからだ。ここに人間の心の不思議さを思う。
食うために働いているよと思わず口にしてしまう。しかしそうではない。働かなくて済むほど富んで食えるにしても、やはり働くということはあり得る。もっと深いところに真実がある。


カミュは、意味のない仕事の永遠の繰り返しの人生を、『シジフォスの神話』という物語の形で表現した。カミュがどのような真意でこの物語を描き出したのか、それはすっきりとは理解できていないかもかもしれない。与えられた生の絶望的な状況とそれを必死に理解し納得しようとする気持ちの相克を表現しているとこれまで受け取っていた。


しかし意味のない仕事の連続であっても、仕事のないことより希望がある(マシ)という表明は、妙に現実味がある。
働く必要もないしその気もないとしたら、そんな状況の中で人は何をするのだろうか。意味があって、その気になることとは、何だろうか。最後に残ることとして、人生の砂時間の砂がサラサラと落ちていくのを見つめることだろうか。


こんな疑問を抱いているよりも、とにかく働くこと、そして働いて働いてそして已む、そんなことをこの男は口にしたということだろうか。