たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

上達ということ

スポーツでも芸事の習得でも、初めの頃は動作のひとつひとつを意識して
行わないとその動作ができない。
初級の段階では、体の動きはぎこちなく、たいして大きな運動量に達していないが、
頭の方はパニックになるくらい忙しく働いているようだ。
身体の動きの自動化のため、脳細胞の組織化がたぶん行われているのだろうと思う。


やがて意識しなくてもその目的に沿った体の動きができるようになる。
傍から見れば動作がしだいにこなれたものになるにつれて、
頭の方はあまり働いていないような気がしてくる。
動作が自動化すると、無意識の領域の回路を使うようになり、
意識化が逆に難しくなる。
顕在意識は空白になるか、次なる対象を探すのではないかと思う。


運動に熟達してくると、当初の体を動かすための意識が薄れて、
体を動かす目的イメージのようなものに意識が集まるようになる。
あるいは個々の動作の先にある統合された運動イメージのようなもの。
これをつかめるようになると、何だか上達した気になる。


しかし脳のはたらきはとても深くて、この運動イメージすら無意識化してしまって、
作り上げた統合イメージも思い描くことができなくなってくる。
脳は怠け者のため、意識しなくてすむようなものは、どんどん無意識化して
自分はヒマになろうとする傾向があると思う。
この辺になると何がどうなったのかよくわからなくなってきて、
果たして自分が上達しているのか、マンネリになっているのか、
判然としなくなってくる。


何かをつかんだという達成感に酔いしれた時代は過ぎて、
感覚すら慣れてしまい、途方にくれるような時期が来るように思う。
優れた先輩や師がいないとこの壁はなかなか突破できないと感じる。