たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

無いものを探す

水彩画を仕上げるとき、心を悩ませるのは「無いものを探す」苦しさです。目の前のものを写生するのは、ものをよく見て絵の上に再現させればできます(むろんものをよく見ること自体にも別の難しさはありますが)。でもそれでは、写し取るだけの行為になってしまう。写し取って完結です。基本的に人間カメラと化しているだけです。


でも絵画は現実の転写ではありえない。作者の表現が込められていなければならないと考えています。風景画を描いていてだいたいのところが仕上がっていて、しかし何か足らないと悩むことが普通です。はじめに描こうと思った出発点からのズレが生じているためかもしれません。また風景から触発され生まれた心の中のイメージからの乖離を感じているからかもしれません。その食い違いはなかなか捕まえることができません。探しているものが、目の前の完成途上の絵画には「まだ無い」ものだから大変なのです。


こんな状態で3ヶ月や半年が経過することもあります。その間、ずっと目に触れるところに置いて通りがかりにチラッと眺めたり、寝る前に絵の前にどっかと座って考え込むこともしばしばです。目の前にあるものを描けばいいのなら簡単なのだが・・・と思います。無いものを探したり、それが何かを考えるのは、相手がいませんからとても大変です。


たぶん創造にかかわる行為はそんなものではないかなと思います。そしてあるときひらめきがやってきます。それは線が足らなかったとか、色彩の青系が弱いのだと気づいたりです。まあ答えというものは、目の前にぶら下がっている訳はないので、当たり前のことなんです。そうして完成したものを前にして、深い満足を覚えるのはまれで、もっと強調して描くべきだとか、大きなものにすべきだとか、次へのステップが生まれたりします。こんなプロセスを繰り返していて、ほとんど苦しんでいる時間なのではないの?と思うこともあります。



白美人の花。花の冠ははじめ下の方で咲き、しだいに上方へ移ります。