たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

虫めがね理論

脳は、その関心をもつことがらを拡大解釈して処理する。
反面、関心を持たないことがらは、素通りするか、見えてさえいない。
(以前にも類似内容をどこかに書いた気がする。)
関心を持つとは、対象への愛着である。
松本元先生は、それを単純に「愛」と呼んでいたように思う。
愛着であるとともに「執着」でもある。


そのイメージを描くとすれば以下のようなものになるだろう。
脳が中心にいて、関心を持つ対象がぐるりとその周りに配置されている。
そんな構図が思い浮かぶ。
脳はどの対象に関心を持ってもいい。
好きであればいいのだ。
あるいは惹かれている状態であれば。


この構図の中にもうひとつ要素を加えねばならない。
好きな対象を見ている視線上に「虫めがね」があること。
愛着を持つ対象に対してだけ、よく見ようと「虫めがね」をあてている。
脳は対象を均等に見ているわけではない。
執着している対象を、特別に拡大して見ている。


本のページ中に自分の名前があれば、
瞬時にそれを察知する。特別に敏感になっている。
聞き取りにくい会話の中でも自分の名前を聞き逃すことはない。
あるいは自分の好きな趣味の名前には過敏になる。
ウィスキーという単語からスキーを思い起こす。
関心を持ち始めると、それに関連することがらが
たくさんやってくるように感じる。


プロの技がすごいなと思うのは、研ぎ澄まされた感心の深さからだ。
素人が気づかない些細な兆候をしっかりと掴まえる。
あるいは表現してしまう。


この虫めがねの構図ゆえに、脳が陥ってしまう非効率な負の世界もある。
パニック症候群といわれている不安恐怖症や強迫観念などは
この脳の構造が関係していると思われる。
脳が不安だと感じる対象を、あまりにも虫めがねで拡大してしまい
その不安の大きさに押し潰されてしまう。
降伏するといっていいと思う。


他人から見れば些細なたいしたことがらではないのだが、
本人が虫めがねで、思い切り拡大しているから、
1程度のものを、100とか1000くらいに感じているので、
不安が生活を完全に支配してしまう。
視野狭窄といっていい状態に陥る。


恋は盲目とはうまい表現だと思う。
この人でなければと思い込んでしまう。
この心理は犯罪心理ととても近いところにある。
相手がこちらになびかなければ、
ストーカ的な行動を呼び起こす。


余りにも虫めがねで拡大してしまうと、
その対象が世の中の全てになってしまい、
これがなければ、自分は破滅だと思い詰める。
破滅なんてことは滅多にないことなので、
そう思うことが多いとすれば、
かなりな虫めがねを所有していると言っていいだろう。


いま感じている世界は、じつは歪んでいるのだと、
バランスよく自覚していることが大切に感じる。
今見えている世界は、カメラのように均等に撮影した世界ではない。
虫めがねが潜んでいる。
厄介なのは虫めがねは透明体であり、
その存在は見えないのだ。


伊那の散歩道(2008年5月)