たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

ときどき飽き足らなくなり・・・

水彩の風景画を描いていて、完成が近づいたなという頃に筆が進まなくなります。自然にそうなってしまう部分と、意図的にそうしている部分があります。完成して筆を置くその直前に、「ためらい」があるのがその理由だと思っています。


最初に風景に接したときに感じた感動が、最後に筆を置くときまでに、果たして一貫して持続したのだろうか。変質してきたのだろうか。その辺がよく思い出せないことが多いです。なにも一貫していなければならないと考えているわけではありません。絵の入り口と出口の関係を一所懸命思い出そうとしている、そんな感じです。


なんだか自分の中で2つの考え方がゴチャゴチャになっています。
ひとつは、初めに絵を描こうと感動を覚えた瞬間の、風景から受け取ったインスピレーションのようなものを表現することこそが絵なのだという考え方。
もうひとつは、絵の完成とは、当初の風景のインスピレーションとは関係なく、絵の完成度をあげる過程で自分の中で変質し煮詰まってきた最終形(理想形)を表現することだという考え方です。


現実の自分が描いている方法論としては、どうも後者のように感じます。初めの入り口で外部からやってきたものがしだいに自分の中で溶け込んでしまい、風景が内省的なものに変質してしまい、完成まぎわでは風景をまったく当てにしなくなるからです。


「いちおう」描きあげたときにも、どこか飽き足らなく感じてしまう原因は、自分の中での変質のプロセスや完成度を上げていく過程が、不十分と感じているからかもしれません。写真のようにソックリ描いてこと足れりとはとうていなり得ません。まだまだ混乱は続くのでしょう。