たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

絵を描く姿勢について

梅雨明け宣言が出てから約1週間後、ようやく本格的な暑さがこの駒ケ根の地にもやってきました。周囲では、せみの鳴き声がけたたましくなってきました。


今年はなにかと多忙を極めそうです。よく考えたら3月の退職後、旅行に出かけるでもなく、また一日ダラダラするわけでもなく、お店の準備の作業で毎日休みなく動いていて、こりゃサラリーマン時代の方が体もこころも暇だったかもと実感しています。自営業とは、だれも命じないしだれも非難しない、という立場なのですね。


昨日は、絵画の古い仲間であり、これまで多くの場面で助けていただいている旧友2人と飲みました。偶然ですが、店の開店準備をしているところへヒョコッと立て続けに別々に訪ねてきて、今日は二人とも休みなんだということでした。3人そろって話をするのはおそらく10年ぶりくらいです。


ひとりは仕事のあいまを縫って、駒ケ根で水彩画を教えている友人で、自分が長野の風景水彩画を描き始めたきっかけを作った人。もうひとりは、祖父がプロの水彩画家だった人で、さらに画材屋さんを営んでいた人。いまは2人とも福祉関係の仕事をしています。自分だけがサラリーマンから絵の世界に入ったということになります。


自然と話題は、絵画や水彩の方へ流れていくわけです。「絵を描く姿勢」についていろいろと話をしました。とくに「自分の持っている限界」について。


自分の描き方をある程度確立していると、その描き方というものをずっと保持して変えない人がいます。使う絵の具の種類から水の量、使う筆、紙の種類とか、だいたい決ってきます。それをいつまでも正しいと信じ同じ絵を描き続ける人がいるのは事実です。


あるときから、それらが自分を縛るタガとして意識されるときがあります。木々を塗るときにどうしても自分の通ってきた画法から外れたことが出来なくなってきます。黒を使うとか、感情をぶつけるように激しく描くとか、水だらけでビチャビチャにして描くとか、自由奔放に描くなど、これまでやらなかったことに挑戦出来なくなってくるのです。


本来、絵を描く上で何をやっても自由で、それを禁ずるような制約はないのですが、自分自身がそれを禁じているという事態になることがあるわけですね。


それがハッキリしてくると、絵がつまらなくなる。限界を感じるといいますか、絵が小さくなるというのか、観る人の感動を呼ばなくなる状態になると思います。じつに丁寧に描いて、とてもうまく破綻せず描けているにもかかわらず、それがつまらなさを呼ぶということがあると思います。別の言い方をすると、絵を描く上で、守りの姿勢に陥っているのです。


なぜそれが絵の表れるのか不思議をいえば不思議ですが、人間の感性はとても敏感で、楽しんで描いているとか苦しんで描いているとか、感動が薄いのに描いているとか・・・
作者の精神状態が絵の中に出てきてしまうのですね。


で、飲みながらの結論としては、自分が楽しいとか自由だとかそういう精神状態の中で描く絵を目指そうということなのです。
もうひとつの重要な結論として、

9月上旬の画材店開店に合わせ、店内で「3人展」を開催する

ということです。
ひとり3点まで、画題や画材、サイズは自由。誰の絵がいちばんの評判をとるかということなのですが、ついでにお店のお披露目をやってしまおうという欲張った企画です。



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