たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

アルシュ紙に描く

先日、自由時間を使って駒ヶ根の光前寺へでかけました。のんびりと古刹を眺めたい気分だったこと、そこから絵の題材を探すことが目的でした。今まで描いたことのないテーマで、水彩画を試みたい気分です。


山門をくぐり、小さな流れのところに橋が架かっていて、その先に本堂があります。この流れは淀んだ感じで、紅葉の落ち葉が沈んでいたりしていました。光が木漏れ日のように差し込んでいて水面に反射しています。


なんとなくこれだ!と言う思いでした。何度も何度も水路の周りを巡って、光線の向きなどをいろいろと探ってデジカメに撮影しました。


描いた水彩画は次のとおりです。

『光前寺の庭にて』透明水彩 アルシュ紙 54×34cm




こちらは描いている途中の状態です。
こういう場面がいちばん楽しくてワクワクしています。

ファブリアーノ紙で描く

イタリアから帰国したSさんから、大変貴重なお土産をいただいた。イタリアの水彩紙ファブリアーノ紙とフランスのアルシュ紙だ。なかなか取り組めずにいたのだが、ようやく、ファブリアーノ紙に水彩画を描いてみた。


いただいた紙はやや薄い200g。しかし水貼り(平貼り)すると収縮が強くて水貼りテープが切れてしまった。やり直すと今度は、一部が剥がれてきてうねりができてしまう。けっきょく透かしの入ったところを避けて、逆さまにして描くことにした。


下塗りをして驚いたのだが、横方向へのにじみの度合いが強く、微妙で複雑な斑紋がでやすい。水貼りでテープが切れるほど収縮が強いことと考え合わせると、たぶんこの紙は、長い繊維が漉かれていて、一本一本の繊維が横方向に長く走っているはずだ。そのため、水と絵の具の粒子が横方向へよく浸透して動くのだろう。


いままでこういう紙とは付き合ったことはなかったので、不思議な感覚にワクワクした。うまく使えば水彩らしい表現がいろいろとできる気がする。水彩紙らしいにじみ具合が大変気に入った。



『東伊那の夏』
水彩 ファブリアーノ紙 B3(570×380mm)サイズ 200g ほぼ白


デジカメ画像だとにじみ具合があまり見えない(道路の部分に少し見える)。原画に向き合ったときのドキドキ感がちょっと現れていないのが残念だ。この絵画は完全に室内で描いた。


下は、夏に現場で描いた鉛筆スケッチ。モチーフはこのスケッチの風景だ。
でも、だいぶデフォルメしたところもある。


次のステップにむけて

これまで描いてきた水彩画は、どちらかというとスケッチに近い存在だった。それを水彩画と呼ぶこともあったが、本作(タブロー)の水彩画との距離感はあった。


スケッチと本作のちがいのひとつは、線の扱いにある。


線とは太さを持たないものと定義されるが、この世の中には線というものは存在しない。3次元空間の中では、何がしかの太さを持った長い長方形しか存在しない。


それをスケッチでは線を抽出し、ものを表現する。いや、ある意味で線だけで表現する。色をつけるのはその線で囲まれた領域だ。この領域には、面の向きとかの概念はない。


実際の風景にあるのは、複雑な面の組み合わせからなる立体で、それぞれの面には、色彩と差し込む光線が作る影が存在する。明るさの異なる面が接しているところに、線が見える。でも、ほんとうは面の境界だ。線と思っているのは人間の脳の解釈である。


この面の持つ色彩と光と影による表現を行うときに、おそらく本当の水彩画になる。


とまあ、講釈たくさんなのだが、実際の水彩画はどうしたらいいのか何年も考えてきた。スケッチのような表現から脱するには・・・


このごろやっと、この路線にそった絵を何枚か描き始めている。
あいかわらず駒ヶ根の風景画に取り組んでいるのだが、どんな風に受け取られるのだろう。
最近しあげた3枚ほどを掲載する。



一枚目は、駒ヶ根を流れる天竜川の両側の流域にひろがる田んぼの風景。
じつは、かなり以前に新しい描きかたの試みをしてみたものの、まとまらずに放り出していた。スケッチとのちがいなどを考えているうちに、まとめられる気がしてきて仕上げたもの。

水彩画 43×35cm 紙はたぶんモンバルキャンソン紙


2枚目は、自宅前の道路の風景。こんな田舎に住んでいることが分かってしまう風景だが、これを描きながら、これまでとは違うものが描けるという自信のようなものを感じた。

水彩画 50×35cm マーメイド紙


3枚目は、同じく自宅周辺の風景。こんな方法で描こうと心に決めた一枚だ。柿の木の風情がとても美しく写真に撮影した。絵画の方は完全に室内で描いた。

水彩画 36×54cm マーメイド紙

日々、徒然草をながめている

栗ばかり食ってご飯を食べない娘の逸話を徒然草でたまたま目にして、それ以来いつも手元に徒然草を置いてパラパラと眺める習慣となった。といっても自分もリタイアして隠遁生活をしているので共感を覚えるというわけではない。ちっとも引退などせず、逆に以前より忙しい日々を送っている。


高校生の頃、お決まりの科目として古文の授業があり、徒然草の読解がでてくるが、ぜんぜん面白いとは感じなかった。冒頭の序段文章の暗記をするくらいだ。妙に説教くさくていやらしいとさえ感じていた。


それが、兼好法師の息遣いというか、言っていることの生々しさを妙に面白いと感ずるようになったわけだ。日ごろから読むようになるのだから、相当な年月を経て後そんな年齢になってしまったということでもある。


そのきっかけになった頃の記事を、以下に2本転載しようと思う。
あるコミュニティーサイトの日記に書いたものだ。


※付記
1ヶ月以上のブランクの後の更新で誰も見ないんじゃないかなと思っていた。
しかし、アクセス数をのぞいて見たら、なんと!
更新されていないBLOGをマメに見てくれている方が結構いらして、本当に申し訳ない気分になった。
さらに言うと、あちこちのサイトに書き散らしているスタイルにも、なんだか飽きてしまった。自分の書いた文章がどこにあるのかが分かりにくくなる。それに精神分裂ぎみになる。それぞれのサイトの筆者というのは別人格になっていくところがある。
なので、分野なんか気にせず、自分の興味の向くまま書けばいいのだ、という開き直りの気分になっている。

■ちょっと愉快な気分かな・・・(転載記事 その1)


徒然草の本を購入したのは、はるか昔、30年以上前だ。さすがに虫喰い跡なんかあって、ボロボロな感じ。持ち歩くには、ちょっとねぇ・・・


新しい本でも買おうかと本屋さんで探してみるものの、いま文学書をおいている書店は、この駒ヶ根周辺にはない様だ。


たしか嵐山光三郎さんの意訳本の徒然草があった。それが欲しかったのだけれどね。昔立ち読みして、とても面白かった。でもそれも幻で、買えなかった。あのとき買っておけばよかった・・・


結局、仕方ないので、高校生向けの参考書として出版されているものを買った。税抜き750円。安い。


でも思わぬ余禄があった。
前日記「そこはかとなく可笑しい」でふれた第四十段の、栗ばかり食べている娘の話が訳してあるかなと探した。この参考書は抄録なのだ。


見たら、あった。
解説を読んだら、この段は、小林秀雄さんの随筆に取り上げられている段らしい。『無常といふ事』の中の徒然草で、鈍刀で彫られた名作と記されているらしい。


「これは珍談ではない。徒然なる心がどんなにたくさんのことを感じ、どんなにたくさんなことを言わずに我慢したか。」と結んでいる。


小林秀雄さんもこの段に惹かれていたことを知って、ちょっと愉快。徒然草は、多少説教くさいところもあり、それが鼻につくのも事実だ。


そのためか、この段のように事実を短く記しただけの文章は、かえっていろいろな含みを感じていい味と感じる。


兼好法師も、蛇足的に説教を垂れることもできただろう。それを、あえて言わないことで、余韻を残している。


でもそれにより、物言わぬは腹ふくるるわざなり、とまあ筆者としては苦しくなることもあるわけだがね・・・
(正確には第十九段の、おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざなれば・・・という文章だ。蛇足。)


■そこはかとなく可笑しい(転載記事 その2)


学生のころ、徒然草が教科書にとりあげられていて、いくつかの代表的な段は読まされたように記憶している。たいてい、妙に訓話的な節が取り上げられていたため、徒然草は、なんだか堅苦しい読み物というイメージになっていた。


それでも、ある程度の年齢になると(まあ定年、リタイアの年代ということだが)、ふといくつかの徒然草の文章の断片が脳裏によみがえることがある。それほどまじめに勉強したわけでもないのに、けっこうそれを思い出すということに驚く。


記憶が良いというより、長年生きてくると、思い当たるフシがたくさんあると言うことである。思い当たるフシとは、やらかしてしまった失敗なのだが、たしか兼好さんがひとこと言っていたはずだよね、と思い出すのだ。後世にまでけっこうな浸透力を働かせている兼好さんである。


で、ある程度の年齢になってから読んでみると、それほど教訓的ではないということに気づく。やっぱり教科書は、教育的配慮で作られているんだな(当たり前か)。


第四十段に、栗好きの若い女性の話が出てくる。この女性、けっこう美人だったらしく、大勢の男から結婚を申し込まれていた。ただ栗が好きで、ご飯の類を食べなかったらしい。兼好さんは、サラッと書いている。その親は、こんな変な娘を嫁に出すわけにはいかないのだと、結婚を許さなかった、と。


文章はこれだけなのだが、兼好さんはいったい何のためにこの文章を記したのだろう。ちょっと不思議でもある。むろん米を食えと言いたかったわけではないだろう。


あえていえば、娘が娘なら、親も親だな・・・と言いたかったのかな。
「娘も人前では、米くらい我慢して食べればいいのに・・・
いっぽうの親も、そんなことで肩肘張って娘の人生を縛ることもないだろうに・・・どっちもどっちだ。」
「でも人生は、そんなことが多いもんだよね・・・」
そこはかとなく可笑しい話ではある。

作品展のアクリル画 その2

7月末に開催された教室の作品展に展示したアクリル画の2番目です。前日まで筆で塗っていて、ひえ〜間に合わない!と焦って、結局時間切れで出してしまいました。完成度があがっていない感じが、今見てもわかります。


でも、この絵を描くときから、自分の静物画へのスタンスが決まってきました。この路線でいこう、という決心というか割り切りというか・・・
いままた次の静物画に取り組んでいます。さらにスタンスを明確にするつもりです。
どうなりますかね・・・



 室内楽?  アクリル F10号

事業仕分け 続編

信州型事業仕分けの初日テーマの中で、とても印象的な事業があった。それに触れてみたい。

事業名は、「消費者相談の拡充事業」。
いわば消費者が物品売買や、振込み詐欺、アダルトサイトへの勧誘などで、被害を受けた際の県民の相談窓口の充実に関するものだ。


平成22年度の事業費の中で、専任の県職員は7.3人、県消費生活センターを5箇所開設し、維持管理している。また県職員とは別に、消費者相談員なる人たちを委託事業で県内に17名配置している。
この事業は、平成21年度から3ヶ年計画で充実強化していくことを目的にしている。


不思議なことに、県が受け付けた相談件数が年々減少している。データによると、H20年度は19,745件、H21年は16,326件(-17%減)、H22年度は13,150件(-19%減)と減少傾向が顕著なのだ。


県民側から見ると、相談窓口は2つある。県の相談窓口と、市町村の相談窓口が併設されているのだ。一般的な相談は市町村で、高度で専門的な相談は県で受けることになっている。しかし、比率にすると、県が受ける相談件数が全体の74%と高く、市町村は26%程度。(仕分け対象になっているのは県の方だ)


では、市町村の相談件数が激増しているのかというと、やはり減少していて、H20〜H22年度データは、6247件、6103件、5441件と減る一方なのだ。


相談案件の内容に入ると、アダルトサイト、出会い系サイトに関するもの20.6%、多重債務問題14.2%、賃貸アパートに関するもの4.0%、未公開株にかかわるもの3.9%という順になっている。


で、当然のことながら仕分け人から質問が出ていた。では、この件数の減少を県はどう捉えているのか、件数が減って来てよいことだと見ているのか、詐欺等の発生が減少している背景があるのか?
すると決して減ることはなく、むしろ犯罪等は増大していると捉えているとの回答。また消費生活センターを新設したときには、相談は増えるという回答であった。


どうやら相談に出かけたい消費者は多いと想定されるにもかかわらず、それを受け取る仕組みが出来ていないか、弱いのではないかということらしいのだ。新設センターができれば相談に訪れる人が増えるということは、相談案件の掘り起しができていない現状の裏返しではないのか。


しかし、この質問への明快な答えを聞くことは出来なかった。
つまりはよくはわからないが、尻つぼみの状態だということだ。また市町村での受付と、県の受付の役割分担も明確でなく、どうすべきだというビジョンも持っていない。


女性の課長さんがおもに仕分けの議論の受け答えをしていた。受けた印象なのだが、消費者を守り抜いていくのだという気概が感じられず、代々受け継いできた仕事なので、まあ、新しい冒険などせずに継承してやっていますという言葉が顔に書いてある印象。


ふつう民間企業だったらこういう状況や人を、無気力、無関心と呼ぶのだけれど、そんな状態に陥っているように見えた。県民の利益のために働こう、それを働き甲斐にしていこうとは考えていない様子でちょっと残念な討議だった。


自分の判定は、現行継続・充実としたが、判定人の大多数は要改善だった。どのような指摘であるにせよ、まずやる気を出して県民のために働くというところが肝心と感じる。そんな判定人の気持ちが果たして届くのか微妙で、この課長さんの無気力感はどうにもならないなぁ・・・とも感じた。課長さんが交替するのがいちばんだったかも知れないなぁ。


(前記事と同様に、本記事もあるコミュニティーサイトの自分の日記に記載した文章を転載しています)

事業仕分けに参加

信州型事業仕分け第2回目が、9/3(土)〜5(月)の3日間の予定でスタートした。伊那会場で行われた初日に、判定人として参画してきた。
開会式の会場にはインターネット中継や取材陣が多数詰め掛けていて、ちょっと物々しい感じだった。ふと資料から目を上げると、阿部知事が到着したところで、やがて挨拶が始まった。


従来の国の事業仕分けの際には、仕分け人が事業の妥当性を議論を進めるとともに、事業の今後の方向性を判定する結論付けも行っていた。
信州型の新しい試みとして、仕分け人と判定人を分けた。自分の立場は判定者だが、仕分け人と提案者の間で繰り広げられる議論をその場で聞き、最終的に判定シート用紙に、事業廃止、根本見直し、要改善、継続拡大などの大まかなくくりで判定結果を記入する。さらにその判定の根拠理由を書き、さらに自由文でコメントを付記するという流れだ。判定人は、十数名から二十名参加する。


仕分けの議論が終了した後、この判定シートを集計してその結果を要約してコーディネータがその場で公表する。そして最も多数意見であった方向性を決定し、結論とするというプロセスをたどる。


自分が参画したのは第3班、行政運営分野で、5テーマがあげられている。統合型地理情報システム事業から、消費者相談の拡充事業、職員宿舎管理事業などが議論された。


根本見直しが必要だなと強く感じたのは、最後に議論された、職員宿舎管理事業だった。詳細には触れられないが、県内に分散する地方事務所等に勤務する職員のための宿舎を、相当な数量、昔ながらの住環境を想定して、昔ながらの方法で継続維持している。その費用は年間予算10億円を優に越える莫大なものとなっているのに対し、時代に合わせて合理的に、無駄が生じないように維持管理する視点が欠落していたように見えた。


長野市松本市のような民間アパート、マンションの多い都市部での職員宿舎への入居率が80%から90%と高いデータが示された。議論の過程で明らかになったことは、都市部の民間アパート、マンションの家賃相場に比べて、職員宿舎の家賃が、相当な低価格だからだ。70m2くらいの物件ならば、7万円/月くらいかかる家賃が、宿舎に入れば1万台ですむ。


その差額は、入居する職員のふところに入っているわけで、手厚い手当て(お手盛り手当て)と言われても仕方ない。原資は県民税で徴収された税金なのだから、正当性がない。議論が集中するのも当然であった。


いっぽう地方の過疎地域では入居率が低く、50%台からせいぜい70%まで。県側は、過疎地域では民間提供の住居が乏しいので、県の宿舎を整備維持していく必要性があるのだという説明だった(たぶん、この言い方、長年お題目のように唱えられてきたのだろう・・・)。しかし入居率が低いのは地方の方なのだから、その説明は破綻している。


担当課長の言葉からは、そのことを疑問に感じることがないばかりか、長期の運営方針すら立案していない様子すら伺えた。民間企業では寮社宅は廃止していく傾向にある。それは時代環境が変化し、状況に対応しているからだ。この宿舎の管理事業は、無駄に税金を使って、身内にお手盛りしているといわれても反論の余地はないだろう。金は経営努力から得られるのではなく、税金から入ってくると信じているところが、まさにお役所的。


帰りがけに何社から取材を受けた。信州型と呼ばれる事業仕分けは、多数の県民を巻き込む参加形態で、県政を身近に肌で感じ議論するという点で、有意義だというのが感想。

読売新聞http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news/20110903-OYT8T00804.htm


(本記事は、あるコミュニティーサイトの自分の日記に記載した文章を転載しています)