たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

作品展のアクリル画 その2

7月末に開催された教室の作品展に展示したアクリル画の2番目です。前日まで筆で塗っていて、ひえ〜間に合わない!と焦って、結局時間切れで出してしまいました。完成度があがっていない感じが、今見てもわかります。


でも、この絵を描くときから、自分の静物画へのスタンスが決まってきました。この路線でいこう、という決心というか割り切りというか・・・
いままた次の静物画に取り組んでいます。さらにスタンスを明確にするつもりです。
どうなりますかね・・・



 室内楽?  アクリル F10号

事業仕分け 続編

信州型事業仕分けの初日テーマの中で、とても印象的な事業があった。それに触れてみたい。

事業名は、「消費者相談の拡充事業」。
いわば消費者が物品売買や、振込み詐欺、アダルトサイトへの勧誘などで、被害を受けた際の県民の相談窓口の充実に関するものだ。


平成22年度の事業費の中で、専任の県職員は7.3人、県消費生活センターを5箇所開設し、維持管理している。また県職員とは別に、消費者相談員なる人たちを委託事業で県内に17名配置している。
この事業は、平成21年度から3ヶ年計画で充実強化していくことを目的にしている。


不思議なことに、県が受け付けた相談件数が年々減少している。データによると、H20年度は19,745件、H21年は16,326件(-17%減)、H22年度は13,150件(-19%減)と減少傾向が顕著なのだ。


県民側から見ると、相談窓口は2つある。県の相談窓口と、市町村の相談窓口が併設されているのだ。一般的な相談は市町村で、高度で専門的な相談は県で受けることになっている。しかし、比率にすると、県が受ける相談件数が全体の74%と高く、市町村は26%程度。(仕分け対象になっているのは県の方だ)


では、市町村の相談件数が激増しているのかというと、やはり減少していて、H20〜H22年度データは、6247件、6103件、5441件と減る一方なのだ。


相談案件の内容に入ると、アダルトサイト、出会い系サイトに関するもの20.6%、多重債務問題14.2%、賃貸アパートに関するもの4.0%、未公開株にかかわるもの3.9%という順になっている。


で、当然のことながら仕分け人から質問が出ていた。では、この件数の減少を県はどう捉えているのか、件数が減って来てよいことだと見ているのか、詐欺等の発生が減少している背景があるのか?
すると決して減ることはなく、むしろ犯罪等は増大していると捉えているとの回答。また消費生活センターを新設したときには、相談は増えるという回答であった。


どうやら相談に出かけたい消費者は多いと想定されるにもかかわらず、それを受け取る仕組みが出来ていないか、弱いのではないかということらしいのだ。新設センターができれば相談に訪れる人が増えるということは、相談案件の掘り起しができていない現状の裏返しではないのか。


しかし、この質問への明快な答えを聞くことは出来なかった。
つまりはよくはわからないが、尻つぼみの状態だということだ。また市町村での受付と、県の受付の役割分担も明確でなく、どうすべきだというビジョンも持っていない。


女性の課長さんがおもに仕分けの議論の受け答えをしていた。受けた印象なのだが、消費者を守り抜いていくのだという気概が感じられず、代々受け継いできた仕事なので、まあ、新しい冒険などせずに継承してやっていますという言葉が顔に書いてある印象。


ふつう民間企業だったらこういう状況や人を、無気力、無関心と呼ぶのだけれど、そんな状態に陥っているように見えた。県民の利益のために働こう、それを働き甲斐にしていこうとは考えていない様子でちょっと残念な討議だった。


自分の判定は、現行継続・充実としたが、判定人の大多数は要改善だった。どのような指摘であるにせよ、まずやる気を出して県民のために働くというところが肝心と感じる。そんな判定人の気持ちが果たして届くのか微妙で、この課長さんの無気力感はどうにもならないなぁ・・・とも感じた。課長さんが交替するのがいちばんだったかも知れないなぁ。


(前記事と同様に、本記事もあるコミュニティーサイトの自分の日記に記載した文章を転載しています)

事業仕分けに参加

信州型事業仕分け第2回目が、9/3(土)〜5(月)の3日間の予定でスタートした。伊那会場で行われた初日に、判定人として参画してきた。
開会式の会場にはインターネット中継や取材陣が多数詰め掛けていて、ちょっと物々しい感じだった。ふと資料から目を上げると、阿部知事が到着したところで、やがて挨拶が始まった。


従来の国の事業仕分けの際には、仕分け人が事業の妥当性を議論を進めるとともに、事業の今後の方向性を判定する結論付けも行っていた。
信州型の新しい試みとして、仕分け人と判定人を分けた。自分の立場は判定者だが、仕分け人と提案者の間で繰り広げられる議論をその場で聞き、最終的に判定シート用紙に、事業廃止、根本見直し、要改善、継続拡大などの大まかなくくりで判定結果を記入する。さらにその判定の根拠理由を書き、さらに自由文でコメントを付記するという流れだ。判定人は、十数名から二十名参加する。


仕分けの議論が終了した後、この判定シートを集計してその結果を要約してコーディネータがその場で公表する。そして最も多数意見であった方向性を決定し、結論とするというプロセスをたどる。


自分が参画したのは第3班、行政運営分野で、5テーマがあげられている。統合型地理情報システム事業から、消費者相談の拡充事業、職員宿舎管理事業などが議論された。


根本見直しが必要だなと強く感じたのは、最後に議論された、職員宿舎管理事業だった。詳細には触れられないが、県内に分散する地方事務所等に勤務する職員のための宿舎を、相当な数量、昔ながらの住環境を想定して、昔ながらの方法で継続維持している。その費用は年間予算10億円を優に越える莫大なものとなっているのに対し、時代に合わせて合理的に、無駄が生じないように維持管理する視点が欠落していたように見えた。


長野市松本市のような民間アパート、マンションの多い都市部での職員宿舎への入居率が80%から90%と高いデータが示された。議論の過程で明らかになったことは、都市部の民間アパート、マンションの家賃相場に比べて、職員宿舎の家賃が、相当な低価格だからだ。70m2くらいの物件ならば、7万円/月くらいかかる家賃が、宿舎に入れば1万台ですむ。


その差額は、入居する職員のふところに入っているわけで、手厚い手当て(お手盛り手当て)と言われても仕方ない。原資は県民税で徴収された税金なのだから、正当性がない。議論が集中するのも当然であった。


いっぽう地方の過疎地域では入居率が低く、50%台からせいぜい70%まで。県側は、過疎地域では民間提供の住居が乏しいので、県の宿舎を整備維持していく必要性があるのだという説明だった(たぶん、この言い方、長年お題目のように唱えられてきたのだろう・・・)。しかし入居率が低いのは地方の方なのだから、その説明は破綻している。


担当課長の言葉からは、そのことを疑問に感じることがないばかりか、長期の運営方針すら立案していない様子すら伺えた。民間企業では寮社宅は廃止していく傾向にある。それは時代環境が変化し、状況に対応しているからだ。この宿舎の管理事業は、無駄に税金を使って、身内にお手盛りしているといわれても反論の余地はないだろう。金は経営努力から得られるのではなく、税金から入ってくると信じているところが、まさにお役所的。


帰りがけに何社から取材を受けた。信州型と呼ばれる事業仕分けは、多数の県民を巻き込む参加形態で、県政を身近に肌で感じ議論するという点で、有意義だというのが感想。

読売新聞http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news/20110903-OYT8T00804.htm


(本記事は、あるコミュニティーサイトの自分の日記に記載した文章を転載しています)

しばらく更新から遠ざかっていました

8月は、地元駒ヶ根で2つの作品展をほぼ同時期に開いてしまったため、とても忙しい思いをしました。ひとつは先生の教室の作品展。もうひとつは家内との二人展です。(すでに両方とも終了しています)


教室の作品展では、アクリル画を3点展示してもらいました。順繰りに、作品を掲載しようと思います。まず最初は、下の一点。



室内楽1」アクリル F12号キャンバス


モノはたくさんあるのに、静かな空気が支配していて、それでいてモノたちが語り合っているような、おのずと室内楽が聴こえてくるようなそんなコンセプトを、絵にしようと描いたものです。
この頃からアクリルの扱いをなんとなく会得できた気がします。それまでは画材に遊ばれていました。

新しい働き方

米国でベストセラーになっているそうだ。新しい働き方(Work3.0)が始まるという内容のセス・ゴーディンの本。まだ通読する段階にいたっていないが、監訳者である神田昌典さんのまえがきが、結構刺激的だった。

たとえば近年、上場企業ではコンプライアンスが重視され、厳格な管理のもとに事業を行なうことが最優先されているが、管理にたけた人間が上層部を占めると、クリエイティブな仕事はとたんにスローダウンしてしまう。
誰も読まない書類の量産。分析ばかりの会議の連続、新しい商品企画は、確実に潰される。彼らに悪気はない。ただクリエイティブな理解ができないから、稟議を通すのに、大変な時間を要する。
こうした硬直化した組織は、十年後にはもはや存在しないだろうが、しかし、今はそれが主流だ。


セス・ゴーディン『「新しい働き方」ができる人の時代』三笠書房 p.5

この硬直化した組織の弊害は痛いほどわかる。およそ管理的な組織の枠にはまらなかった自分は、悪気はないけれども厳格に管理を貫こうとする有能な人々によって次第に会社の中で片隅に追いやられ、最後は自分で飛び出す結果になった。


なぜそのような提案を実行しなければならないのか?
キミはそんなことまで考えなくても良いのだ!
とかいろいろといわれ続けた気がする。
誰も読まない書類の量産もずいぶんと強いられた。パワーポイントのスライドショーのやり方など習熟する必要なんか全くないというのに。


管理を重視する組織というのは破綻することを恐れる。決めごとがつぎつぎと変化して進化していく組織など、管理できないからだ。ヒエラルキーが固定されその中で職務要領書にしたがって、せいせいとおとなしく仕事をしていればいいのだ、というわけなのだ。こういう硬直化が深化すると、破綻せずに組織がこの先ずっと維持されていくこと自体が、組織の唯一の目標になってしまう。もちろん目的を失った組織の存続をゆるすほどビジネスの世界は甘くはない。顧客の方に向いていない組織は自滅するだけだ。


在籍していた会社はその後、ますます管理の度合いを深めたようだ。研究開発的な「無駄な」要素は、すべてぬぐい捨てられたようである。かつて家族的とまで言われた社員を大切にする社風も失われた。先々代の社長の著書は、なによりも雇用を守る社是がこの会社の強みであると、家族主義をたたえるような内容であった。わずか何年かの時間が経過しただけなのに皮肉なことだ。それはみごとに捨てられ、いまや何次かのリストラが実施されている。理念すら持ち得ない組織になったように見える。


神田さんのまえがきに、硬直化した組織は十年後には存続していないと断言されているが、もっと早い段階で新しい波に呑み込まれてしまう可能性すら感じる。

ルノアールの恋人の絵画

以前から気になっていた、ルノアールの描いた、彼の恋人の絵。
夏(習作)と題され、サロン入選作だそうです。
気になった理由は、恋人のリラックスした服装、髪型、そして憂いをたたえた表情です。ルノアールの好みの女性のタイプだったのだろうかなどど想像しつつ、不思議な表情を模写してみました。


ラファエロの模写

先日からフェルメールルノアールの人物像を、鉛筆で模写しています。とくに魅力に富んだ微妙な表情を模写することは、かなり根を詰める疲れる作業です。それは顔の表情は、少しでも狂いがあると魅力の表情が変わってしまうためです。そのため正直、顔を正確に描くという作業はできたら避けたい気持ちが働きます。


でもこの練習をやってみると、とっても勉強になることがわかりました。形をしっかり見て、どこが不足しているのかをつねに問い続ける練習です。自分の足りないところがハッキリ見えてくる経験をしました。うまく描けなければ、その理由を追求すればいいということですね。もともと失うものはないのだし、守りに入っても仕方ないじゃないかと思うようになりました。


すこし継続的に、模写というつらい練習をしてみようと思いました。
今回はラファエロ聖母像の顔の部分です。「大公の聖母」という絵画で、左手に赤子のキリストを抱いているのですが、今回省きました。人間的な表情の典雅な聖母の顔を描くことを目標にしました。



模写 ラファエロ「大公の聖母」部分 
月光荘 F6スケッチブック 鉛筆2B 2h程度
(公開時より一部加筆しています)