たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

三陸海岸の記憶

30年以上も昔、夏にリュックひとつで仙台から青森までヒッチハイクをしました。寝袋とスッケッチブックをリュックに詰めて、三陸海岸をテクテクとひたすら北上しては風景を鉛筆でスケッチして歩きました。リアス式海岸はたくさんの小さな半島が海に突き出ています。半島の先端はたいてい断崖絶壁の風光明媚な景色になっています。

湘南海岸のようにずっとはるか向こうまで砂浜が続き、砂浜に沿って道路が通っているのでなく、三陸海岸は険しい半島が突き出た地形です。北上する道路は、岸壁に出会うたびに山間に入って迂回します。そして半島を越えると海岸線に出て、それぞれの町の集落が現われます。それがずっと三陸海岸の海岸線に沿って繰り返されています。気仙沼市陸前高田市大船渡市、釜石市陸中山田市、宮古市、久慈市などなど。

半島と半島の間に小さな砂浜があって、砂浜に沿って津波を止める4mくらいの防波堤が作られていたと記憶します。ところどころに門が開いていて、非常時にはこの門を閉じるということでした。町に着いては防波堤の上から海を眺めたり、海岸線をスケッチしました。とくに大船渡の入り江は奥に深く、この入り江を望む港の風景を描いていると、子どもたちが何をやっているのだろうと覗きに集まって来ました。

しかし、昔スケッチしたポイントが、津波の通路になり、集落を押し流し、逃げまどう人々を押し流したことになります。あの防波堤をやすやすと乗り越えて水が押し寄せたということです。TVニュースで大船渡の港町をなめていく津波の様子が出ていました。まさしくそこは腰を下ろし鉛筆を走らせていた場所です。あの町並みはもうなくなっているわけですが、覗きに来た子どもたちはどうしているのでしょう。年代的には40代から50代ですが、無事でいるのでしょうか。一刻も早い救援と被災地の復興を願うばかりです。


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