たぶん絵的なBLOG

画材店の店主がつづる絵画や画材のあれこれ

否定からの解放

足達大和さんの著書を読んでいて出会った言葉。

あなたの記憶に残る誰かからの"否定"。
それは、たかだか一部の人間が自分のものさしで判断した結果に過ぎず、決してあなたの願望をあきらめさせる権利を持つものではない。


足達大和著『大切なことは、みんなナポレオン・ヒルが教えてくれたきこ書房 p.48

他人からの否定に出会いながら幼少時代を過ごした記憶があります。両親からも否定を受けていると感じていました。それは苦い記憶です。こころの奥底に沈んでいる世界です。
生まれてから首のすわりが悪かったこと、ひとり立ちもなかなかできず、さらに言葉が出るのも遅かった。養護学校へ行ったほうがいいのではないかとアドバイスする近所のおせっかいな人までいたと、のちに聞かされました。人並みに一人前にするために親から厳しくされた(と感じる)記憶やできごとがたくさんあります。


しかしこの足達さんの言葉に触発されて思ったのは、たとえ否定されてもそれを真に受けてはいけなかったのだという思いです。子供の頃はそんな批判的な考え方を持つことはできません。無理もありません。そういう自分なのだという諦めに似た感情を自然に備えてしまいます。そして子供の頃に植えつけられた考え方や、自己評価への傾向のありかた(つまりはネガティブな雰囲気)はたぶん一生続くと思います。でもそんな否定の言葉には何の根拠も無いのだ、と受け止めなければいけないと強く思います。


そこに理由などありません。生まれた生命が自己否定しなければならない理由など、どこにもありません。ましてそれを他人の口が言葉にして投げつけるということがあってはなりません。


他人の人生に影響を与える否定の言葉を発した人が、のちになって、いやあの言葉は早とちりだったとか間違っていたとか言われても、その言葉を過去に戻って訂正したり無かったことにすることは不可能です。何らかの意図があって言ったのだと弁明されても、そんな否定の言葉によって人生に影響を受けてしまった人は、過去に戻ってやり直しはできないのです。だから思うのです。人の言葉をもとに人生をいろいろと加工してしまう愚かさを。人生を人に預けてはいけないのだ、ということを。